スリルとサスペンス

韓国オンマって最強!「母なる証明」(2009) ポン・ジュノ監督、キム・ヘジャ主役、ウォンビン出演

2020-03-12

全世界を敵に回しても息子を守る! 往年の神女優キム・ヘジャの怪演に拍手喝采!

作品情報

  • 評価 4.5★★★★☆
  • 制作 2009年
  • 公開 韓国:2009年5月28日 日本:2009年10月31日
  • 累計観客動員数 2,981,953人(2019.11.16時点)
  • 上映時間 128分
  • 原題  마더(マザー)
  • 英語題 Mother
  • 監督 ポン・ジュノ
  • 脚本 パク・ウンギョ、ポン・ジュノ 
  • 出演
    キム・ヘジャ---トジュンの母、ミョンシン漢方
    ウォンビン---トジュン、知恵遅れ
    チング---チンテ、トジュンの友達
    チョン・ウヒ---ミナ、チンテの彼女
    ムン・ヒラ---ムン・アジョン、被害女子高生
    イ・ヨンセク---廃品回収おじさん
    ユン・ジェムン---刑事
    ソン・セビョク---刑事、元セパタクロー選手
    チョン・ミソン---刑事
https://www.youtube.com/watch?v=sKP_bnwC_SI

あらすじ(ネタバレなし)

トジュン(ウォンビン)は母と二人暮らしだ。小さな田舎町では二人のことを知らない者はいない。トジュンは29才になるが、知恵遅れで一人では生きていけない。ささいなことで問題も起こしてきた。社会の中でどう振る舞えばいいのか彼にはわからないのだ。そんなトジュンを、母(キム・ヘジャ)は目の中に入れても痛くないほど愛している。素直で美しく、心根の優しいトジュンの成長は母の心の支えでもあった。

ある日、警察が訪ねてきて、いきなりトジュンを車に押し込め連行する。驚いた母は警察署にかけつけるが、息子はなんとアジョン(ムン・ヒレ)という女子高生殺害の被疑者として逮捕されたという。母は憤った。優しいトジュンがそんなことできるはずがない。しかし、数日後には息子は自白をし、自白書にサインまでしてしまう。知恵遅れの息子を警察が弁護士もつけずに脅して自白させたにちがいない。その日から息子の無実を晴らそうと母の孤独な戦いが始まる。

息子を思う母は偉大だ。世界中を敵に回しても何も怖くない。母はまず被害者アジョンの葬式に行き、自分の息子は犯人ではないと宣言する。次に、弁護士を求めて町一番の弁護士に頭を下げて連れてくる。なけなしのお金もすべてはたいて、ただただ息子を救う証拠はないかと探偵のように探し回る。そして、母はとうとうあの晩息子以外に殺害現場にいた男を突き止める。


韓流四天王と言われ日本の韓流を支えたウォンビンが、じつに5年ぶりの俳優復帰を果たした。しかも、鬼才ポン・ジュノ監督のメガホンの元、往年の大御所キム・ヘジャと母息子を演じ、「殺人の追憶」に負けない韓国産サスペンスの力を見せつけたところにある。二転三転する練り上げられた脚本、想像を超えた結末。韓国オンマの子供を思う気持ちの異常な激しさ。オンマノワール感爆発の作品はこの「母なる証明」をおいて他にはないのじゃ!



※この先は、ネタバレが含まれます。未だ御覧になってない方は読まないことをお勧めします。


素直に言う。ポン・ジュノ、キム・ヘジャ、ウォンビン最高!

大昔、この映画見た時は正直それほどすごい映画だとは思わなかった。

西洋と日本のいいとこどりばかりしていて、なんだか奇をてらった表現が多く、大して感動もしなかった。しかし、経年して現在とても感動する。なぜだろう。独自の世界観もっているすごい映画だなと。素直にポン・ジュノ監督に拍手を送りたい。未だ「パラサイト 半地下の家族」を観ていないが(貧乏ゆえ映画館に行かない派なもんで・・・)、この映画はアカデミー賞へつづく作品だったんだなと納得。「ゴッドファーザー」(1973)のような人を魅了する力がある。

監督のインタビューをいくつか読むと、「グエムル」や「殺人の追憶」では女性もしくは母親という存在を意図的に消して作ったので、本作では逃げずに真正面から女性(母親)を中心に捉えて作品を作りたかったという。もちろん登場するのはただの母親ではない。息子のために鬼になった母親だ。韓国オンマの常軌を逸した暴走ぶりがこの作品を見る者を楽しませる。


ウォンビンは最初台本を読んだ時、今までとは違う役柄にめらめらとやる気がみなぎったと言い、それはキム・ヘジャさんも同じだったらしい。二人が演じたのは、知的障害がある息子、純粋無垢な性格ゆえにトラブルに巻き込まれやすく、そんな息子を心配し溺愛する母だ。ウォンビンは知的障害をもつ青年を演じるのは初めてであり、それは映画を見た観客もびっくりしたであろう。いつも甘いマスクで女の子を瞬殺してきたウォンビンの姿はそこにはなかったのだから。

ウォンビンはどこで役作りの準備をしたのだろう? 「復讐者に憐れみを」で脳性麻痺青年を演じたリュ・スンボムは施設に毎日通って勉強させてもらったと言っていたが、ウォンビンも通ったのだろうか? ネットで検索したが分からなかった。しかし、5年ぶりの復帰作品に彼がこの役柄を選んだことが、何となくこだわりの強い彼らしさが感じとれてうれしかった。

彼は仕事においても本質を大切にするのだ。
しかし、才能があるのだからもっと映画やドラマに出てくれたらいいのに・・・もったいない。


キム・ヘジャさんに関して言うながば、なぜこの映画で大鐘賞もしくは青龍映画祭で主演女優賞が獲れなかったのか不思議なくらい、ほんとうにすばらしかった。庶民韓国オンマのやさぐれ感、一度言い出したら聞かない感、息子をひたすら想う情にあふれたオンマ感が爆発していて、本当にすばらしかった。一平民のオンマが何ももたずに大きな組織に立ち向かう姿は震えるぐらい格好いいのだ。あのきれいなキム・ヘジャさんが化粧もせず、パーマ髪振り乱して半狂乱になる姿。国宝級だと思った。


わたしは、ヘジャオンマが警察署へ面会に言った時、トジュンにかけた言葉が大好きだ。

「殺したとしても否定すべきよ!」

息子にこんなふうに言えるオンマは(倫理的にはダメなのだろうが)愛すべき存在だと思う。
なりふり構わず韓国オンマが走り出す時、それは家族への愛が爆発する時だ。ゾンビも関西のヒョウ柄おばさんも、サバンナのライオンも、韓国オンマにはかなわないのだ! アジョンの祖母役キム・ジングさん、あなたも最強韓国オンマだと思う。キム・ヘジャさんと共演されててうれしかった。

しょーもない考察。森村誠一「人間の証明」との比較。

この映画の邦題がすごく好きだ。「母なる証明」!

なんともいいではないか。ふと、森村誠一の「人間の証明」を思い出した。映画もあるが、わたしの記憶に鮮明に残るのは1978年にドラマ化されたもので、もちろん我らが高峰三枝子が主役を演じたものだ。あれも「母」という存在が重要な主題となっていて、昔、つきあっていた黒人兵士との間に出来た子供が成長して自分に会いに来てくれたのにもかかわらず、再婚して築いていた幸せを守るために子殺しをしてしまうという悲しい話だ。

キャスティングといい、脚本力の高さといい、とんでもない名作だったと今振り返ってもしみじみ思う。
確かに、「人間の証明」の高峰三枝子ママは上流階級に属し、社会的地位があり世間体を非常に気にする点が本作品のヘジャオンマとは異なるが、しかし、息子を溺愛するあまり、倫理的軌道を外れていく点ではまったく同じである。


しかし、なんだろう。二つは「母性」という主題では同じなのに、明らかにもやもやするものを感じる。

「証明」を見終えた時はなんとも言えない胸苦しさがあったのだが、「母なる証明」のエンディングにはケセラケセラのような世界観が空中を飛んでいて、それが観ている者を悲愴な気持ちにさせなかった。前者は、息子のため、自分の世間体のために計画的に犯罪を犯していったが、後者は発作的に息子を助けようとして廃品回収老人を殺している。場当たり的で無計画な側面がある。たしかに、オンマはその後証拠隠滅のために放火しているが、悪質性は前者よりははるかに低いと言えるだろう。観客はどちらかというとオンマに同情的だ。

映画が成せる技なのか。ポン・ジュノの成せる技なのか。本作品は、一つの絵物語のように、きれいに格好よく終わっている点がすばらしかった。最初の草原での踊りと、最後の踊り、バスの中での針刺しと踊りが、罪という現実を離れた幻想の世界観を作り上げていて、非常に計画的に練りに練られた世界観を提供してくれている。まさにエンターテイメントに徹した作品なのである! ポン監督、そりゃアカデミー獲るのは時間の問題だったってことね・・・

本作品は罪を問うものではなく、母の情念に焦点を当てていること。罪に焦点を当てたのが日本の「人間の証明」であったこと。わたしはこの二つの作品を比較することで、なんとなく胸にもやもやしていたものを整理することができた。

(どちらもそれぞれですばらしいのだが、正直言ってこの作品を見て、日本の古いドラマ「人間の証明」のすばらしさを再確認できたのは、ありがたかった。日本って作品力高かったんだわ! 自信もってがんばろー日本人!)


ヒューマンドラマではなく、徹底的にエンターテイメントにこだわって作られた!それがこの映画の魅力だ!

「人間の証明」との比較でも述べたが、この映画の魅力は徹底的にエンターテイメントにこだわって制作された点にある。キャスティングといい、脚本といい、構成といい、とにかく観客を飽きさせまい楽しませようと苦心をこらしている。総合点が高いのである。ほんとうによくできた作品だ。

このエンターテイメント性は、徹頭徹尾いろんなところに出ていたが、いくつか例を挙げてみたい。

1.女子高生アジョンが屋上から吊り下げられているシーン。観賞している場合じゃない!

時代劇ではないのだから、この映画の時代設定は作品が制作された2009年が舞台なのであろう。しかし、2009年という現代にも拘わらず、殺人事件が起こり、女子高生アジョンが無残にも屋上から吊り下げられている間、刑事たちはまるで花火を見上げるように談笑している。現代の一般の感覚なら、家族や友人の感情を考えて見えないように布で覆うとか、少しでも早く検証を早く終えて下してあげようとするだろう。

何年も殺人事件が起こらなかった村とはいえ、これほど死体を粗野に放置している異様なシーンは、すなわち監督の時代を無視した「見せたい」感が漂っている。わたしは横溝正史シリーズのディスプレイ臭をぷんぷん感じた。


2.見世物小屋的現場検証シーン。2009年頃の現場検証ってあんなにひどい?

またトジュンを連行した警察の現場検証シーンも同じである。明治・大正を舞台としたドラマに出て来る大衆のカオスな風景がそこにある。わーわー叫びながらチンドン屋に群がってついていくような村人の姿。それは2009年と呼ぶにはあまりにも不釣り合いな風景だ。だが、そんなことおかまいなく監督はこういった風景をぶっこんでくる。

ポン・ジュノ監督にとっては、この作品を作るにあたって時代考証などあまり重要視していないのだろう。それがどの時代であろうと、絵になる風景を映画に登場させることが最大の主眼なのだ。映画全体に布石を計画的に敷き詰め、これらで観客を飽きさせずにつなぎとめ、一方でアナログ画調を大切にして人間の本質に切り込んでるふうに丁寧丁寧に作る。

まるで宝石を敷き詰めた絵画そのものだ。虚構の世界を見栄えのするように、ダイヤを散りばめて作り上げていくのだ。
わたしにはポン・ジュノ監督は芸術家というよりも、技術者のように見えてならない。

不思議だが、そう考えるとパク・チャヌクが目指す絵図と重なるからおもしろい。天才の目指すところは結局は同じになるのか。あ、チャヌク兄のほうがすべてをかなぐり捨ててサイコ世界へ逝ってしまった感がひどいが。とくに「お嬢さん」は半端なく。どちらかといえば、パク・チャヌクのほうが芸術肌なのだろう。打算なく作品を作っているところが魅力だ。

ん?あたしポン・ジュノ監督をほめているつもりなのだが。
芸術ではないのだ。文学でもないのだ。この作品はエンタメをひたすら追求したものであることははっきりしている。その意味でポン・ジュノは天才だー!

3.売春する女子高生と真犯人にされたジョンパリ。登場人物にしっかりした人物設定あり。

韓国映画を見ていると、とにかく未成年者と殺人、未成年者の売春、暴力、買春など、目をふせたくなるような人間関係をあますことなく絡ませてくる。この映画も然り。被害者をただの幼気(いたいけ)な被害者と設定せず、実は売春して生活費を稼いでいた女子高生として登場させる。その多淫ぶりが事件を謎めいたものにしていくという意味ではおもしろかった。

個人的には、安易に売春や買春をもちこむ浅い作品は好きではない(そんなもの描かなくても、人間の本質に迫るいい映画は作れる)。だが、一見真面目な少女に秘められた意外性が見ているものをドキリとさせたことは間違いないだろう。しかし、どうなのだろう。チョン・ウヒとチングのベッドシーンもぶっこまれていたが、ああいう描写って必要不可欠だったのかなぁと思ったりもする。

そうこう考えながら見ていくと、映画は最終局面になる。真犯人とされたジョンパリ(殺された女子高生のボーイフレンド)がなんとトジュンと同じ知恵遅れであり、オンマもこの子が犯人ではないということを知りながらも、真実を警察に話そうとしないというシーンが、この映画の最高にして最大の見せ場だったように思う。

この映画で、芸術性を語るとするならば、わたしは間違いなくこのシーンを挙げるだろう。自分の家族だけが救われれば、他人は犠牲になってもいいのか。結局、オンマは二人の人間の人生を崩壊させている。廃品回収老人の人生、もう一人は障害者ジョンパリである。ジョンパリを前にして泣き崩れる母をカメラは無情に映し出していく。

どこかで自分だけがだまっていれば逃げ切れると思っていたのではないか。しかしそんな母を、息子が渡した少し焼け焦げた針箱がとどめを刺す。トジュンがすべてを知っているという真実は、その後二人が元の生活に戻ってしあわせに暮らしたというふうには到底考えられない。トジュンが釈放された日、母は迎えに行かなかった。このシーン、不思議に思わなかっただろうか?

わたしは、オンマがやがて訪れる本当の別れを思って、息子と距離を置き出したように思えてならなかった。

この映画、2つだけ残念だったところ!

すばらしい映画だったが、二つだけ残念だったところを最後に述べて終わりにします。

1.キム・ヘジャさん、歯がまぶしすぎ、歯並びもキレイすぎ!

役作りとしてどーなのかなーって思ったのが、これ。

最初は気にならなかったのだが、映画が進むにつれ、すこーしずつ気になりはじめたのが、トジュンの母キム・ヘジャさんの歯並びの美しさだった。女優キム・ヘジャさんが美しいのはわかっている。そんなの当たり前。女優は歯が命! でも、トジュンの母役は、あまりの貧困ゆえ将来を悲観して心中まで図った過去がある。そんなド低貧民母とこの歯並びの美しさは違和感半端なかった。あいごー。

歯で思い出すのが、アメリカ映画「モンスター」(シャーリーズ・セロン主演)のアイリーンの口元(歯)の演出である。

ハイウェイ売春婦&シリアルキラーと言われたアイリーンは、安宿を転々とする貧しい家なき女だったが、教養のなさと貧しさゆえろくな職にもつけず、歯はもちろんボロボロだ。歯並びもお粗末だが、色もくすんでいて、ああ、歯ってもろ生活レベルが現れるところだなとあの映画を見た時思ったものだ。パティ・ジェンキンス監督は、セロンにギタギタの入れ歯をかませて、忠実に猛女アイリーンを演じさせたのだぞ。

そうよ。ヘジャさんにも入れ歯をかませれば、リアルなオンマに近づけたのに。

ポン・ジュノ監督、ここなんとかならんかったの? わたしは心の中でつぶやいた。

2.母が廃品回収おじさんを殺害した後のシーン

また、キム・ヘジャさんに関してで、すんまそ。

ま、これも演出の問題だとは思うのだが、終盤、オンマが廃品回収おじさんの家を訪問した場面である。老人が、トジュンの殺害現場を目撃したと警察に通報しようとすることに驚いて彼を殺してしまうシーンがあるのだが、問題はその後だ。

オンマは半狂乱になってハンマーで彼を殴りつける。当然返り血を浴びて彼女の顔は血だらけになる。それをぬぐおうとすればするほど血の色が顔中になすくられて薄汚くなっていく。何も知らない人が見たら、この人、何かやばいことをしたのではないか?と疑問を抱かせるぐらいオンマの顔は血の色と臭いでぷんぷんしたはずだ。

なのにだ。

なのに、オンマが廃品回収おじさんの家に放火して出てきた直後の顔は、血一滴さえついていない。それはまるでこれからデパートでも行こうかしらと、顔して化粧したばかりのこぎれーな顔なのだ。これにはさすがに臨場感がぶっとんだせっかくのクライマックスなのに、流れとしてつながってなくて、監督、ああやっちゃった!と残念でした。

もちろん、最後の有名なシーンも、オンマはきれーな顔して草原で踊っている。たしかに汚い顔で踊ったら絵にならないことはわかるが。さも、カットしました。洗顔しました。そこから撮りましたってのが伝わりすぎて残念。


気が付かなかった人は、もう一度ようく見ると一興です。

韓国オンマ万歳!

母なる証明 2009

 

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毒女 悦子

韓国映画をみてハッと胸をわしづかみにされたことありませんか?
悲しい時つらい時に韓国映画を見て、心がほんのすこし救われたことありませんか? しあわせを感じたことありませんか?

わたしはたくさんあります。

韓国映画のもつ奥深さになぐさめられたり、息もできない胸苦しさを覚えたり、一日中その余韻に浸ったり、夢の中まで追いかけられたり。 韓国映画に流れるあたたかいもの、残忍なもの、切ない永遠のものに、 ずっとずっと恋をしています。

同じ気持ちの人たちとつながっていたい。

アラフィフ。老後が心配。
でも死ぬまで韓国映画を抱きしめているぞ。

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