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傑作だ!!! 是枝監督とペ・ドゥナが組んだ「空気人形」(2009)[日本映画]

2019-12-10

心をもってしまった人形は幸せになれないのでしょうか。ペ・ドゥナが切なく演じる人形の涙。

●評価 5.0★★★★★
●第33回日本アカデミー賞(2010年)優秀主演女優賞 ペ・ドゥナ
●2009年製作
●上映時間116分
●原作 『ゴーダ哲学堂 空気人形』 業田良家
●参考詩集 吉野弘「生命は」(詩集「風が吹くと」1977年)
●監督 是枝裕和
●出演
空気人形のぞみ(ペ・ドゥナ)
純一、レンタルビデオ店員(ARATA)
秀雄、人形の持ち主(板尾創路)
元国語教師の老人(高橋昌也)
年増の受付嬢(余貴美子)
レンタルビデオ店長(岩松了)
過食症女性(星野真里)
少女、萌(奈良木未羽)
萌の父(丸山智己)
派出所警官(寺島進)
浪人生(柄本祐)
ファミレス店長(山中崇)
人形師(オダギリジョー)
未亡人(冨司純子)

あらすじ
秀雄(板尾創路)はラブドールが恋人だ。彼女の名前はのぞみ(ペ・ドゥナ)。秀雄は人間の女性より人形のほうが面倒くさくなくていい。のぞみは秀雄にとって理想の女性だ。

ある朝、秀雄が会社に出かけると、のぞみは独りで立ち上がる。軒先に光る雨露に手を伸ばし、水玉が指にはじかれる度、「きれい」と何度もつぶやいた。のぞみが命を得た瞬間だった。彼女は服を着て街に出かけた。初めての街はなにもかもが珍しかった。子供、大人、男と女、おじいさんおばあさん、交番のおまわりさんがいた。

街角にあったレンタルビデオ店に入った。たくさんのオモチャが並んでいるようで浮き浮きした。レジに男性の店員(ARATA) がいた。一目見て、のぞみは恋に落ちた。ドキドキとした感情がのぞみの中に芽生えた。

翌日からのぞみはそのレンタル屋で働きはじめた。ありがとうございます。何をお探しですか。一つ一つ言葉を覚えていくのがうれしかった。店長(岩松了)に彼氏はいるの?と聞かれ、「いいえ」と思わず答えた。心をもったのでウソをついてしまった。言葉と同時にいろいろな感情がのぞみの中で生まれはじめた。

夜になると、のぞみは秀雄のセックスドールに戻る。私は空気人形。性欲処理の代用品と心でつぶやきながら、毎晩秀雄に抱かれる。

のぞみは、純一と少しずつ距離を縮めていく。のぞみが海に行ったことがないと言うと、純一は彼女を海に連れ出してくれた。きらきらした海の光にはしゃぐのぞみ。レストランで夕食を共にし、人間には誕生日があることを知る。自分にも誕生した瞬間があったのかしらと、ふと思った。人間になりたい気持ちが少しずつ膨らんでいった。

ちょっとした事件が起こった。のぞみが踏み台から足を外して転倒した時、体に穴が開いてしまったのだ。駆け寄る純一。空気人形ののぞみはどんどん小さくなっていく。「見ないで」と懇願するが、純一は開いた穴をふさぎ、のぞみの腹から空気を入れて膨らます。空気人形であることがばれてがっかりしているのぞみに、「ボクも同じだよ」と人生の虚無感に悩まされていた純一は答える。

のぞみが心を持った瞬間からどんどん時は過ぎ、彼女は味わったことのない複雑な感情に押しつぶされそうになっていく。毎日が楽しい反面、周りの人間と関われば関わるほど嫉妬や妬み、悲しみや失望が心の中で大きくなり、ついには怒りを爆発させるようになる。ままならない心と折り合いをつけるにはどうすればいいのか。純粋だったのぞみは悩むようになる。

是枝監督と韓国の実力派女優ペ・ドゥナが組んだ渾身の傑作「空気人形」。心をもってしまった人形の悲哀を通じて、現代社会の人のつながりや生命について静かに問いかける社会派作品。忘れないで。あなたの存在はきっと他者の力になっている。空気人形が優しく語り掛ける。



※ここから先はネタバレが含まれます。まだ作品をご覧になってない方は、読まないことをお勧めします。


身悶えするぐらいペ・ドゥナさんの美しさと童女のような純粋なのぞみに目が釘付けになる。

ほんとうに言葉を失うとはこのことだ。
この映画を観て、ほんとうによかったと思う。なんてすばらしい映画なんだろう。ペ・ドゥナフリークとしては間違いなくマストウォッチ(must-watch)な一本だ。日本映画だが、ペ・ドゥナさんが出演していることからここにレビューを書いておきたい。

1.のぞみの陶器のような美しさ、可憐さ。

ペ・ドゥナさん、この映画が製作された時は30才。いわゆるセクシーダイナマイト系の女優さんではないが、不思議な個性美の塊(かたまり)だ。美しくなったり、怖くなったり、汚くなったり、怒りに満ちたりというように何にでも化けるというか、つかみどころがないのに、しっかりそこにいて観客をくぎ付けにする本物の美しさをもつ役者だ。

ペ・ドゥナが演じる空気人形のぞみ

本作でペ・ドゥナが演じているのは Candy、5980円のラブドールであり、光に命を吹き込まれ、人形なのに心をもってしまった人形だ。愛称のぞみ(本名Candy) 。自分が性欲処理の代用品、型遅れの代用品だということをようく分かっている。この世に生まれてから、人間の性欲処理しか知らないのぞみが、初めて自分の足で外の世界に一歩を踏み出す。

のぞみが初めて外出する時、家にある洋服箪笥の中からメイドカフェの服を選ぶシーンがあるのだが、ここは命をもったのぞみが初めて「選ぶ」という自己主張をした重要な場面である。メイドカフェの服装がのぞみは一番「気に入った」のであり、自分に似合うと思ったのだ。その直感はすばらしく当たった。

わたしは普段は何とも思わないこのメイドカフェの姿を見事に着こなたのぞみがあまりに美しくて、ショートボブのペ・ドゥナさんを足のつま先から頭のてっぺんまで惚れ惚れと見つめた。彼女は、陶器のような白い肌と長い手足、腰にキュっと結んだ白いリボンを下げ、真っ赤なポシェットをもつ。ダイヤモンドのように大きく輝く瞳のメイドカフェは、この世のものとも思えない圧倒的な美しさだ。これを見るだけでもこの映画、一見の価値がある。

おたく系の人は是非この映画を観るべきだろう。30才のペ・ドゥナさんが完璧なまでに童女のように美しいラブドールになっている。前も後ろ姿もすべて悶絶するほど可愛くて可愛くて、おたく男どもはこれで何日も性欲処理に走れるはずだ。おめでとう男子。

2. ペ・ドゥナさんが演じたほうがベター・キャスティング。感性の神演技力。

花の香をかぐのぞみ。のぞみにはこの世のすべてが眩しかった。

空気人形が人間の心をもつという、一つずつ言葉を覚え、芽生えた感情に驚き、人の優しさに触れ恋をしていくという役柄は、ペ・ドゥナさんという日本語を流暢に離せない外国人にとっては見事なはまり役だった。

幼児が小学生、少女へと成長していく過程で経験するであろう戸惑いの連続が、ペ・ドゥナさんの日本文化や日本語への不慣れといい具合にマッチングしてなんともいえないケミストリーを生んでいる。日本人が演じる以上にペ・ドゥナさんが演じることのほうがベターキャスティングだっただろう。是枝監督この効果を狙ったの?さすが!とほめたい。

人形(のぞみ)が一つずつ言葉を覚えていき、日常生活の小さな出来事に幼子のように驚いたりわくわくしたりしていくシーンは、涙が出るほど心を打たれる。

それと同時に、ぎこちなかったのぞみの動きが、人間と行動を共にすることで少しずつ自然な動きへと変わっていく。ロボットのように歩いていたのがスキップを覚え、うれしくてジャンプしたり、太陽に背伸びしたりと、人間らしくなっていく。眼の動き一つとってもそこに成長がある。

ペ・ドゥナさんの感性の演技力に脱帽する。この人は計算してやっているのか、直観が命ずるまま演じているのか。観客の心をもっていく卓越した演技力には毎回驚かされるものがある。世界の名だたる監督が彼女をキャスティングしたがっていると聞くが、さもありなん。

役柄に惹きつけられたら、ハリウッドだろうが日本だろうが二つ返事で出演するというドゥナさん。ワールドワイドな役者魂が韓国人独特の偏狭な枠を突破していて、多くの日本人が彼女の挑戦力に注目する。今後もずっと最高に期待する役者さんだ。

心をもった人形の悲哀。悲しみと愛しさがあふれるほどつまったすばらしい作品。

この映画、ほんとうにすばらしくて、伝えたいことが山ほどある。整理がつかないほどたくさんの思いがあるのだが、感動したところを順番に書いていきたい。こうなったらもう思いつくままにだ。あれやこれや考えていると感動が逃げてしまう。書きまくる!いえい。

1. ウソをつきました。心をもったのでウソをつきました。

まるでこの映画は文学のようだ。肩の上に降りつもる雪のように、言葉が一つの世界観を切ないくらい表現していく。観客は胸を射抜かれたようにハッとする。ずっと探していたものを見つけたような、違うと否定していた自分を言い当てられたような気がして、この作品にある文学を反芻する。

文学は常に孤独と背中合わせだ。のぞみが「ごめんなさい」という言葉を覚えた頃から、彼女は人間社会の様々な面倒くさい感情に押しつぶされていくようになる。孤独を知り、ため息をつくようになる。心がとても痛かった。

レンタル店で「お役に立てなくてごめんなさい」と謝り、赤ちゃんに勝手に話しかけてごめんなさいと謝り、逃げるように公園に逃げ、座る時もまた「ごめんなさい」とつぶやく。彼女はなに一つ悪いことをしていないのに。心が痛くなるシーンだった。

心が傷つくということを学びはじめたのぞみ。

心をもつことは「幸せになる」イメージがあるのに、心をもつことで悲しみを覚え始めた人形に、観客は深いためいきをつく。のぞみは、自分が人間と「違う」部分は白粉(おしろい)を振って消すことができると思っていたが、毎日が楽しければ楽しいほど、人間に近づこうとすればするほど、人間のように傷つくことに慣れていないのぞみは深い孤独の淵をさまようようになる。

のぞみが心をもったことでウソをつくことを覚え、嫉妬し、怒りという感情に苦しむ様を見ていると、心をもつ=人間であるということにはどういう意味があるのだろうとハッとさせられる。なぜ人間にはこのような複雑な心というものが与えられたのか。

人間とは全く複雑な動物である。心の飼い主は人間のはずなのに、人間がその心に振り回されている。人間でさえもだ。いわんや、それまで人形であったのぞみが「心」によって苦しめられるのは当然であった。子供のように戸惑う姿が手をさしのべたくなるほど描写されていて、胸が切なくなった。

2. それでも一つずつ乗り越えていこうとするのぞみ。健気(けなげ)さ、素直さ、ひたむきさに感動する。

この映画のすばらしさは、のぞみのもつ3点----健気さ、素直さ、ひたむきさだ。それは心が震えるほど感動する。

美しくない感情に苦しめられる度にのぞみは乗り越えてきた。

ある時は元国語教師であったおじいさん(高橋昌也)に、生命(いのち)は(吉野弘詩集より)という詩を教えてもらい、生命はそれ自体に欠如を抱いているからこそ他者から満たしてもらうのだと教わり、不完全でいることは悪いことではなく、恥じることでもないのだと知る。

また、自分を製作した人形工場を訪ね、自分を作った人形師(オダギリジョー)から「みんな同じ顔に作ったはずなのに、返って来た人形はすべて顔が違っているんだ」と言われ、人形にもそれぞれの生があるのだと知る。自分が生まれてきた意味、心をもった意味を知り、つらくても「心」とともに生きていこうと決心する。

何が感動するかと聞かれれば、のぞみが困難にぶち当たる度に、健気にそれを乗り越えようとするひたむきな姿に心から感動すると、私はストレートに答える。

心が震えて涙が止まらなくなったのは私だけではないだろう。

これは単に人形の物語ではない。純粋に生きたいのにできない私たち人間の心を表しているからこそ、共鳴して泣けるのだ。素直に学ぼうとする純真無垢な姿がそこにある。

3. 愛する人の力になれなかった自分への失望。それでも続く生命の連鎖。作品が伝えてくれる大切なこと

この映画、たしかに最後は悲劇だ。ハッピーエンドでない限り、それは悲劇だと片づける人もいるかもしれないが、私には「生命の連鎖」だと映った。

考えてみると、のぞみはすべての時において、すべての人に優しさを尽くしてきた。
秀雄の性処理、レンタルビデオ店長の性処理。
専門の性処理以外には、年増の受付嬢に白粉をあげたり、赤ちゃんをあやそうとしたり、バスで眠りこけている男性に肩を貸してあげたり、おじいさんの看病をしたり・・・。

なんでこんなに優しい子が幸せになれないのだろうと切なさが募る一方で、映画は別の角度で観客の心に永遠をもたらしてくれる。それはのぞみが求めていた純一とのハッピーエンドという成就ではなかったが、普遍的な平安のようなものとして表現される。

自分をゴミ置き場に捨てるのぞみ。

最後、のぞみは純一を勘ちがいで死に至らしめてしまい、生きる気力を失う。純一をビニール袋に入れて燃えないゴミとして出し、純一にかつて貼ってもらった腕のセロテープを外す。それは紛れもなく死を意味することをのぞみは知っていた。最後にのぞみは言う。

「ワタシハ ココロヲ モチマシタ」

心をもったからこそ人間と同じ死を選んだのであり、自分の存在をこの世から消そうとした。

私はこの瞬間、切なさで涙腺が崩壊する。
しかし、それは少しずつ感動へと変わって行った。

のぞみの体から空気が抜け、小さくなり続けていく中で、のぞみが体からしぼり出した最後の空気が、風となって街を飛び、空虚な心をもつ小さな人間たちの部屋に優しく下りていく。

まさに、吉野弘の詩にある、他者の欠如を埋めていくように、のぞみの生命もまた誰かのための風となり、生命を満たしていく存在となっていく生命の連鎖)ということ。のぞみが傷つきながらも一生懸命生きたことがムダではなかったということに気づかされて、最後はとてつもなく心が救われる思いがした(さもなければ3日間寝込んでいたかもしれない。あまりにも切ない最後だから)。

空気人形が他者の欠如を埋める存在であるならば、人間はなおさらである。
この映画に出てくる人間ども。性処理を求める男たち、若さを求める年増女、過食症の女性、女のケツばかり追いかける浪人生・・・、わたしはこれらの人たちが空虚だとは全く思わない。これらはかわいい人間の姿であり、地球の片隅でささやかに生きる普通の人々である。

うとましくて無関心な他者たちこそは、実はお互いが生命をつむいでいく、必要で大切な存在であることを、この映画はささやかに教えてくれている。人は欠如を抱くからこそ、他者の助けになることができるのだから。私たちよ、そのまま不完全な自分を抱えて、毎日精一杯生きていけばいい。

ペ・ドゥナさん、この映画に出てくれて、ほんとうにありがとう。
すばらしかった。一映画ファンとして、この映画製作に携わってくれた多くの人々に心から感謝します。

備忘録として、気になった部分。

左から、オダギリジョー、余貴美子、板尾 創路

すばらしい映画なので、ちょっと気になったところを備忘録として何点か書いておきたい。

①始まり。秀雄が帰宅して、食卓でのぞみに話しかける場面。板尾さんがのぞみの顔を見て話しかけていないのが不自然に思えた。これは演出なのか、下手くそなのか。わたしには奇異に思えたシーンだ。のぞみの顔を見て話しかけたほうが、男の孤独がきちんと表現できたのにと残念だった。

オダギリジョーのセリフの言い回しが少し気になる。もっと自然に話せばいいのに、まるで今セリフを読んでます演技してます! みたいな言い回しに臨場感がぶち壊されると思ったのは私だけか? あまりにもペ・ドゥナさんが上手だったのと対照的だった。オダギリジョーというよりは監督の演出に責任があるのではないか・・・。て、おまえは何様やねん。すまぬ。

③若さに執着する年増の受付嬢を演じた余貴美子さんの演技がすばらしかった。
目も口も余計な演技を全く入れない。すべてが自然な演技だ。それがすばらしくてうなってしまった。誰か何とかしれくれ。余貴美子が脳裏から離れない。彼女だけはペ・ドゥナさんと対を張れる!

最後に、大好きなシーン!「き・・・、きぐうね」

「・・・き、きぐうね」のぞみがはにかみながら答える。

これはもうしびれるほど大好きなシーンというか、二度と忘れられないシーンだ。最後に挙げて終わりたい。

それは、1時間2分53秒あたりに登場する。のぞみが純一に空気人形であることがばれて、びっくりしたでしょう?と尋ねるシーンだ。「いいや僕も同じようなものだ」と虚無的につぶやく純一に、「ほんと?そうだったの?」とうれしそうにはにかむ。のぞみは彼も空気人形だと思い込んだのだ。

そして、「き、きぐう(奇遇)ね」と結んだのだが、ペ・ドゥナさんの言い方がなんでこんなキュートなの? とぶっ飛んでしまうぐらい可愛いのだ。人形が言葉を覚え始めて以来、初めて使った難しい漢字言葉、それが「奇遇」という言葉だった。よくぞ覚えた!えらいぞ! ペ・ドゥナさんは人形の、その「初めて感」を見事に表現していた。

この「奇遇ね」シーンは二度と忘れられない。
是枝監督、このシーン入れてくれてありがとー!

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毒女 悦子

韓国映画をみてハッと胸をわしづかみにされたことありませんか?
悲しい時つらい時に韓国映画を見て、心がほんのすこし救われたことありませんか? しあわせを感じたことありませんか?

わたしはたくさんあります。

韓国映画のもつ奥深さになぐさめられたり、息もできない胸苦しさを覚えたり、一日中その余韻に浸ったり、夢の中まで追いかけられたり。 韓国映画に流れるあたたかいもの、残忍なもの、切ない永遠のものに、 ずっとずっと恋をしています。

同じ気持ちの人たちとつながっていたい。

アラフィフ。老後が心配。
でも死ぬまで韓国映画を抱きしめているぞ。

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