メロー ラブロマンス

我らの愛しのイム・スジョンをこんなサイコにしちゃって!「サイボーグでも大丈夫」(2006) パク・チャヌク監督

2020-01-25

サイボーグでもちゃんとごはん食べなきゃ恋愛もできないぞ!

作品情報

  • 受賞 2007 第43回 百想芸術大賞 男子新人演技賞(チョン・ジフン)
       他
  • 評価 4.0★★★★
  • 制作 2006年12月7日
  • 上映時間 105分
  • 原題 싸이보그지만 괜찮아 サイボーグでもいい
  • 英語題 I'm a cyborg. but that's OK
  • 監督 パク・チャヌク
  • 脚本 チョン・ソギョン、パク・チャヌク
  • 撮影 チョン・ジョンフン
  • 出演
    チョン・ジフン---パク・イルスン、患者
    イム・スジョン---チャ・ヨングン、患者
    ソン・ヨンスン---ヨングンの祖母
    チェ・ヒジン---チェ・スルギ、医師
    イ・ヨンニョ---ヨングンの母
    オ・ダルス---シン・ドクチョン、患者、逆歩行患者
    チュヒ---ソン・ウニョン、ヨーデル患者
    パク・チュンミョン---ワン・ゴプタン、大食い患者
    イ・ヨンミ---オ・ソルミ、作話症患者
    パク・ピョンウン---医師

あらすじ(ネタバレなし)

観客のことなんて置き去りにして、自分のいたずらな世界だけを追求するパク・チャヌク監督がまたやらかしてくれた。自分をサイボーグだと思い込んでいる女の子と、そんなサイボーグに心を奪われた優しい青年の最高に飛んじゃってるラブコメ。患者みーんながしあわせに暮らす精神病院で繰り広げられるファンタジックな世界観に、見終わった後はなぜだかほろりとさせられてしまう。

ヨングン(イム・スジョン)は自分をサイボーグだと思い込んでいる。そしてサイボーグであることは絶対に知られてはいけない。なぜならそんなことがばれたら、母親の食堂にお客が来なくなるからだ。秘密は死守だ。サイボーグなので充電が必要だ。しかし、ヨングンが工場で充電しようとすると感電してしまい、そのまま精神病院に連れて来られた。悲壮感はなかった。医師たちは優しく、どの患者もしあわせに暮らしているからだ。

その精神病院はユニークな患者仲間であふれていた。礼儀正しく謙虚なあまり前に歩けない逆歩行者のドクチョン(オ・ダルス)、大食い&靴下を摩擦させて飛行するコプタン(パク・チュンミョン)、エーデルワイス合唱団に入る夢をもつウニョン(チュヒ)、作話症のソルミ(イ・ヨンミ)、ケツがかゆくて卓球ができないテピョン(イ・チュンギ)、人をじっと観察した後盗むのがうまいイルスン(チョン・ジフン)などだ。

ヨングンは、祖母を病院に連れていった医療関係者(ホワイトマン)を憎んでいる。しかし、殺してやりたいと思うのに、同情心が邪魔して計画を実行に移せない。ある日、イルスンに木曜日のパンティを盗んまれたヨングンは、イルスンにお願いごとをする。自分の同情心を盗んでほしいと。同情心さえなければホワイトマンをやっつけて祖母を連れ帰すことができるからだ。

イルスンがどうしようか迷っている内に、ヨングンはどんどん体力がなくなっていく。自分はサイボーグだから食べると故障すると心配してヨングンは拒食を続ける。イルスンは、とうとうヨングンの同情心を盗んであげるが、ヨングンの具合は悪くなる一方だ。コプタンがヨングンのご飯を食べていることも原因だが、ヨングン自体が頑なに食べることを拒否している。身も心もサイボーグになっていくヨングン。自分の存在理由が何かをよく考えるようになる。

一方、ヨングンの同情心を盗んだイルスンは、逆に強い同情心を抱いて苦しむようになる。ヨングンが元気になるために出来ることは何でもやってあげたいと思う。コプタンの靴下摩擦飛行を盗んで教えてあげたり、ヨーデル患者から歌を盗んで歌ってあげたりして、サイボーグだけど食べても大丈夫だよとヨングンを励まし続ける。しかし、とうとう意識不明になるまで衰弱するヨングン。果たしてイルスンは愛するヨングンを救うことができるのか?



※この先は、ネタバレが含まれます。未だ御覧になってない方は読まないことをお勧めします。


「JSA」「オールド・ボーイ」「親切なクムジャさん」に比して興行的には失敗。しかしパク・チャヌクワールド健在! 監督が心の中で高らかに笑っているのが聞こえる。

確かに、数字を見ると、大ヒットした「JSA」「オールド・ボーイ」「親切なクムジャさんに比べたら興行的には失敗だったといえよう(「復讐者に憐れみを」よりは成功した)。

だが、パク・チャヌクは、世間の下す評価なんてクソくらえなんだろう。そんなこと恐れていたら、こんなむちゃくちゃな映画作れなかったはずだ。この映画、ほんとはファンタジーなんて可愛いものではない。やんちゃ坊主パク・チャヌクの夢想する、はちゃめちゃな世界観をそのまままっすぐ具象化したやんちゃ映画だ。

一つ一つを真剣に見ないほうがいい。そこに時間をかけずに、彼の作品は直観的に見ることの方が大切だ。というのも、これまで彼のインタビューを観ていると、どうやら一つ一つに(理屈的に)こだわって作っているというよりは直観でえいや!で作っていることの方が多いからだ。謎解きなんて高尚なものは存在しない。デビッド・リンチのように偉そうに観客を見下して作るというよりは、自分が最前線に跳んでいって「あれ乗りたい」「これ乗りたい」と遊園地でただをこねる子供のように楽しんでいる。

観客というよりは自分が楽しむことが第一なのだろう。

そして、彼がこだわるのは、ただ一点。美しさである。
それは色彩的な感覚であったり、角度であったり、声のトーンであったり、輝き方であったり。はたまた雨であったり、音であったりだ。それは泥臭くても抒情的であってもいけない。人間的なあたたかな美しさとは180度異なるものだ。人間味を否定した冷たい美しさをパク・チャヌクは好む。それはサイコな美しさ。残酷で、サディスティックでさえある。ほんとうにいやらしい奴だパク・チャヌクって映画人は。

その意味で、この映画見返せば見返すほど、ものすごい遊び心満載の映画で、どんどん好きになる。ヨングンの髪型、服装、考え方、登場人物の意味、始まり方終わり方・・・、一つ一つが理屈としてではなく、直観的に伝わってきてストレートに楽しいのだ。わたしならこんな色使い考えちゃうけどな、こういう演出しちゃうな、というようにチャヌクと共同作業する錯覚にとらわれる。すこぶる楽しい!


イム・スジョン、後世まであなたの勇名は歴史に刻まれる!この仕事よく引き受けた!あなたはえらい!

だれもなにも言わなくていい。
余計なことは考えずに、イム・スジョンの勇敢さだけをほめたたえてあげてほしい。映画を見てそれだけを切に願った。

イム・スジョンといえば、「サッド・ムービー」で見た通りの、韓国でNo.1の童顔女優だ。透き通るような白い肌、永遠の少女のようにあどけなく、抱きしめてあげたいくらい可愛らしい女優さんなのだ。それが、こんなとびきりのサイコな姿になって登場する。お化け頭に、眉毛なし、入れ歯けけけ!の、粥ゲロゲロ吐いて、ゆび機関銃でだだだだだだのキリングマシーン!!! なんじゃこれは!? お前という奴はパク・チャヌク! いやいやいや。そもそもこの映画出演をよく引き受けたイム・スジョンさん! 台本読んだ時に拒否反応をもたなかったとしたら大したものだ(ほんとうに持たなかったらしい)。

全女優生命をかけたような気合いのこもった演技だった。
わたしは観賞後、この主役をあの役者がやっていたらどうだろうとよく考えるタイプなのだが、このヨングンだけはイム・スジョンさん以外まったく想像できなかった。サイボーグなのに、可憐でまっすぐで愛らしいスジョンヨングンは、イム・スジョンにしかできない、唯一無二の出来栄えだったと断言できる。


この映画、調べてみると、まずイルスン役のチョン・ジフンさん(ピ)が最初に決まり、チョン・ジフンさんが相手役にイム・スジョンさんをパク・チャヌク監督に薦めたことから、スジョンヨングンが誕生したという。イム・スジョンさんはサイキックなヨングンをとても楽しんで演じたというが、肉体的にはとてもきつかったという(プレッシャーも相当あっただろう)。従来のスジョンキャラから考えると、このとんでもない変貌ぶりに心も体も消耗するのは当然だろう。ファンだって戸惑った。

しかし、イム・スジョンという役者を振り返った時、かわいいかわいいだけの役柄でキャリアを積む以外に、パク・チャヌク監督の下で、これまでとは180度真逆のとんでも役をこなすことは役者の転機となってよかったのではないか。とくに、監督に感謝したいのは、今回イム・スジョンを自己存在の理由に悩む、特殊だが、可愛らしいサイキックなサイボーグに仕立てあげてくれたことだ。イム・スジョンのこれまでの愛らしいキャラクターを、どことなく引き継いで仕上げてくれていることに素直に感謝したい。

この映画から直観的に感じるもの。監督の遊び心の裏にあるもの。

1.ヨングンが毎晩話しかけるラジオ。存在の理由に悩むヨングン

この部分、ほろりときたシーンである。
若い頃なら、だれでも悩むだろう。「なぜ生まれてきたのか」「どうして死にたいと思ったこの瞬間でさえも、心臓はばくばくと鼓動を続けるのか」 いくら精神病患者でも、ヨングンも例外ではない。自分が存在している理由を知りたくて、毎晩ラジオのアンテナを伸ばす。友達のいなかった彼女はラジオが大好きだ。時を感じるためにラジオを聴き、生きていることを実感しようとする。

わたしにはヨングンのこのアンテナを伸ばす行為が、神様に通じようとしている風に見えて仕方なかった。この場合の神様というのは漠然とした神(=摂理)であり、宗派を問わない。天の声といえばわかってもらえるだろうか。世間体ばかりを気にする母。唯一自分を愛してくれた祖母はホワイトマンに連れ去られ、ヨングンの精神はますます壊れていったのだろう。ラジオから聴こえてくる声がすべてであり、慰めとなる。

ラジオがヨングンにささやく。

「真夜中に起きて、冷蔵庫の音に耳を傾けます。
 寒い冬の朝、夜明けまで動いていたボイラーの音を感じます。
 それが涙を誘うのは、彼らに存在の理由があるから」

「私は機械なのに、使用説明書もないし、ラベルも貼っていないから自分の用途がわからない。なぜ作られたのか」
小さくつぶやきながら、ヨングンがベッドの上でため息をつくこのシーンは、見ている者の心を打つ。


彼女は人間なのに、サイボーグのように心を閉ざして空想の世界で生きようとする。サイボーグは彼女の唯一生きる術だ。心がないから楽なはずなのだ。にもかかわらず、彼女の心は生存の理由を知りたがろうとする。サイボーグなのに生存の理由に悩むヨングン。どうしようもない切なさにヨングンの繊細な小ワールドは不安定の波に沈みそうになる。


ラジオがヨングンにささやいた”7つの悪”(悪い順)
①同情心
②悲しむこと
③ときめき
④ためらい
⑤余計な空想
⑥罪悪感
⑦感謝する心

ヨングンはホワイトマンを成敗するためにこれら7つの悪をもつまいとけなげに努力するのだが、結局、根があまりにもいい人過ぎて、この7つの悪から離れることはできなかった。人として当然じゃ。よかったよかった。


2.同じ不安定さを抱えるイルスン。母親に捨てられた孤独感が彼を苦しめる。

この不安定さは、イルスンも同じだ。

幼い頃、母に捨てられそのショックで心のバランスを崩す。その後、大きくなって電気技師として職につくが、出来心でバイクを盗んで警察につかまり、心ない裁判官に「おまえは点となって消滅する!」と言われ、立ち直れないほど心が傷つく。必死にその恐怖から逃げようと、あらゆる人の心を盗むことを覚え、盗むことで心の充足を得てきた。

そんなイルスンが、自分をサイボーグだと信じて疑わないヨングンに出会い、変わっていくところが面白い。

それまでは自分の喜びのために他人から盗んでいたが、ヨングンのために盗むようになる。まずヨングンの同情心を盗むことで、彼女に代わって人一倍同情して苦しむようになるが彼はこれを喜ぶ。また、ヨーデル女患者からヨーデルを盗んでヨングンに歌って聞かせたり、コプタンからは靴下摩擦飛行法を盗んでヨングンに教え、天国にいる祖母に会わせてあげたりする。奇想天外な発想のおもしろさに手を叩いてしまったのは私だけではないだろう。ヨングンはイルスンの精神的リハビリそのものであり、この映画を見ていると、精神病患者にたいする悲壮感をまったく感じない

そのイルスンは元電気技師の技術を生かして、最後はヨングンの体を背中からこじあけ、拒食を修理してあげる。母が残したミニオルゴールを使って米からエネルギーを生成する機械を見事作り出したからだ。

その他、この精神病院にはあふれんばかりの才能がそろっている。礼儀正しすぎて逆歩行するドクチョンや、ヨーデルが異様にうまいウニョン、靴下摩擦飛行女コプタン(別名大食い女)、生まれた時から腰にゴムひも巻いてるギュソク・・・。イルスンは彼らの才能をちょいと拝借しては、病床のヨングンを少しでも励ますために用いる。周りの才能なしには、イルスンはヨングンを助けることは不可能だっただろう。


真っすぐで純粋な心をもつ青年イルスンをチョン・ジブン(ピ)が迷いなく演じ切っている。

個人的には、歌手ピ(チョン・ジフン)の鋼のような体に目がちょいちょいいってしまったのだが(悶える!)、映画俳優になりたかったというだけあって、チョン・ジフンの存在感が半端なくよかった。なによりこの映画、ヨングンもそうだが、変なエログロがなく安心して見れる。ちょっと濃厚なキスシーンはあるが、それは子供が大きなアメをなめくるような感じなのでいやらしさはまったくない。


確かに、ヨングンもイルスンも精神病院という特殊な場所にいるが、傷ついた心をもつ人間という意味では何もわたしたちと変わることがない。むしろ共有できる感覚がそこにはあり、同じ刹那に生きる人間として胸がしめつけられる。むしろ、世間体を気にせずまっすぐ悩む彼らの姿に、感動すら覚える。この映画、見れば見るほどほんとうに感動が増えていく不思議な映画なのだ。

3.信じることより知ることより、とりあえずご飯食いなはれや~! by パク・チャヌク監督

全編、とにかく「いい子にして飯食えよ」と言われている気がしてならなかった。ドリフターズかこの映画は!

存在の理由を考えるのも良し! サイボーグだと信じるのも良し! でも飯食わないとはじまんねーぞおまえら~。とパク・チャヌクが説教している。そうなのだ。人はどんな秘密をもっていようが隠していようが、またどんなに傷ついて明日なんて来なくてもいいと嘆いていても、「ハラヘッター」という感覚からは逃げることはできない。

ヨングンは、自分がサイボーグだからご飯を食べたら故障するから食べられないのと拒否をする。それは空想の世界で生きるヨングンの姿であり、理想ばかりを追求すると人はとんでもない世界にはまって、人生をムダに過ごすことになる。悪い宗教につかまったり、結婚詐欺師にほれたり、あやしい金融商品を購入したりと。確かに貴重な経験にはなるが、それは大変な遠回りだ。

それよりも、パク・チャヌクは現実主義者ではないが(だったらこんな映画つくらない)、とりあえずご飯を食べようや!と映画で訴える。つまり、高すぎる理想に自分を縛りつけたり、失望して心を閉じ込めたとしても、ご飯を食べていればいずれは元気でまっせーみたいな。そんなとこだ。

これは、映画に複数回出てくる「とにかく希望は捨てよう。そして元気を出そう」というセリフからも大いに感じとられる。非常にプラクティカルな人間観が前面に出ている。あてのない理想や希望にすがるよりも、飯を食うという実利性を尊重する。


それは終盤、医師がヨングンの手をとり、
「知ることや信じることより大切なことは、ごはんを食べることよ」

と確信をもって言っている。

どのみちパク・チャヌクの映画を見る時は、力が要るのでご飯が必要であることは間違いない。師匠、あなたが一番あたしたちを消耗させてんのよー。

この映画、サイボーグでも食べても大丈夫!
これこそが正式題名だろう。断言できる。

パク・チャヌク監督の茶目っ気ぶりが爆発しているシーンの数々! 心が興奮したわい!

1.ザ・キリングマシーンヨングンの登場だぜ! だだだだだだだー!

ヨングンが同情心をイルスンに盗んでもらったことから、彼女が(空想の中で)ホワイトマン(医療関係者たち)たちを遠慮なく次々と銃殺していくシーンがこれだ。
彼女の両手指の第一関節がぱかりと空き、そこから散弾銃がにょきっと飛び出て、だだだだだだだだーーーーーーと撃ちまくる。

このシーンを見た瞬間、ああ、またパク・チャヌク監督やっちゃった・・・・と大爆笑


このおっさんの悪戯心が今回も我慢できずに爆発している。

ヨングンは、それはもう小気味いいほど、病院のあちこちで撃ちまくり、果ては外に出てバックヤードにいるホワイトマンたちを銃殺しまくる。現実に考えるとなんと恐ろしい殺戮シーンだろうとなるが、これはヨングンのまったくの空想の世界のお話。茶目っ気たっぷりのシーンだ。

このシーン、どうやって作ったんだろう。CGじゃないよな?と楽しめばいい。少なくてもわたしは拍手大喝采した。監督の作品はいつもこんなはちゃめちゃなのだから、楽しむ他ないのだ。


2.ヨングンのハルモニ、天国からゴムひもでぴょーん。荒唐無稽だが最高のシーンだ!

ヨングンが拒食して死ぬ寸前の時だ。イルスンがヨングンを少しでも元気づけてあげようと、コプタンから盗んできた靴下摩擦飛行法を教えてあげると、ヨングンは飛んで飛んで、天国に行ったはずのハルモニ(祖母)に会う。

そこはアルプスの山のようなところだ。おばあさんは腰にゴムひもをつけて、ヨングンに会いにきた。
「我が愛する孫娘、ヨングン!」ハルモニはヨングンを抱きしめて、存在の理由を言いかけた瞬間、あの世からぐいぐいぐい引っ張られて、空にあ~れ~っと消えてしまう・・・。それこそ点のように消滅するのだ。

これはもう正直、ひっくり返るほど大爆笑だった・・・

たぶんこのゴムひもは神様が祖母につけたヒモだろう。ひもを振りほどいて下界に下りることはできない。しかもタイムリミットがある中での孫娘との再会だったのであるが、ヨングンに存在の理由を告げる前に神様がハルモニをひっぱって帰してしまった。余計なこと考えんで、ごはんたくさん食べて毎日を楽しく生きなはれや~!とでも言いたげに。

パク・チャヌク監督が作り出すこの荒唐無稽なシーン。
一体どこからゴムひっぱってんねん! おばあさんよろけて転びそうやったやんか。危ないわ!とつっこみながら笑いが止まらなかった。ひー。たぶん、彼もメガホンとりながら笑っていたのではないだろうか。わたしは監督の作り出す、こういう一見しょーもないシーンが悶えるほど好きだ。

3.靴下摩擦飛行法! パク・チュンミョンのこの楽しそうな表情。ああ!最高!

コプタン(パク・チュンミョン)が開発した飛行法だ! 飛行機に乗らなくても一気に海外でも宇宙でもいける特許ものだ。

ペパーミントの靴下と甘柿の靴下が、天と地の間にある静電気のような緊張を作り、それが体を浮遊させる。つまり高速鉄道の原理を利用して編み出されたのがこの飛行法だ。コプタン、あんたは天才だ!

この飛行法があったおかげで、イルスンがコプタンから盗み、ヨングンが天国のハルモニに会えた。ぶはははは。
このパク・チュンミョンさんの最高の笑顔に拍手! わたしは観賞後、この飛行法をさっそく真似(まね)しましたよ、ええやりましたとも。チャヌクワールド崇拝者の私がやらないわけがない! 家族に精神病院に通報されそうになりましたが。

4.ヨングンが販売機や蛍光灯に話しかける演出にほろりとくる。感性が光る!

最後になったが、たぶんこの映画で一番感動したのが、ヨングンが販売機や蛍光灯に向かって話しかけるシーンだ。
モノを擬人化して会話するということは、考えてみれば幼い頃だれでもやった記憶があるのではないだろうか。例えばぬいぐるみや、太陽や月や植物や動物などにだ。当時の記憶が鮮明に蘇ってきて、ハッとした。

ここでヨングンが友達のように話しかけるのは無生物の販売機であり、蛍光灯、ラジオ、自転車等だ。
わたしは純真無垢に話しかける彼女の姿に感動せずにいられなかった。

このヨングンの姿は、金子みすず「積もった雪」という詩の中で「上の雪は寒かろう、下の雪は重かろう、中の雪は天も地も見えずにさみしかろう」と詠んだのと共通する感性がある気がして、心があたたかくなったのだ。なんという繊細な感性をもつのだろうパク・チャヌク監督。

ヨングンが閉じこもった世界は感性がキラキラとあふれていて、世間体や体裁にがんじがらめにされている一般人には真似できないものだ。皮肉だが、人間とはしょせんこういうもの。常識がぐらぐらと揺さぶられる瞬間が一番不安だが、可能性に満ち溢れていると確信できる凡人は少ない。こういう常識を破った映画はほんとうに貴重だ。興行的に失敗がなんだ! そんなものでは測れないすばらしさがここにある。

書きたいことが山ほどある。
また「サイボーグでも大丈夫 コレクターズBOX版」を見た時に、書くことにしよう。うっす。

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毒女 悦子

韓国映画をみてハッと胸をわしづかみにされたことありませんか?
悲しい時つらい時に韓国映画を見て、心がほんのすこし救われたことありませんか? しあわせを感じたことありませんか?

わたしはたくさんあります。

韓国映画のもつ奥深さになぐさめられたり、息もできない胸苦しさを覚えたり、一日中その余韻に浸ったり、夢の中まで追いかけられたり。 韓国映画に流れるあたたかいもの、残忍なもの、切ない永遠のものに、 ずっとずっと恋をしています。

同じ気持ちの人たちとつながっていたい。

アラフィフ。老後が心配。
でも死ぬまで韓国映画を抱きしめているぞ。

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