スリルとサスペンス

パク・チャヌクのエロエロサイコ魂が炸裂!誰かなんとかせーよ!「お嬢さん」(2018)

2020-01-03

美とは変態の最終形だった。パク・チャヌクがついに変態を極めた! こいつを野放しにするな! 逮捕しろ!

作品情報

  • 評価 4.0★★★★
  • 製作 2016年
  • 上映時間 145分
  • 原題  아가씨 アガッシ(お嬢様)
  • 英語題名 THE HANDMAIDEN
  • 原作 小説「Fingersmith」(荊の城) サラ・ウォーターズ著
  • 監督 パク・チャヌク
  • 脚本 チョン・ソギョン、パク・チャヌク
  • 出演
    キム・ミニ--和泉秀子(いずみひでこ)
    キム・テリ--秀子の侍女、珠子、ナム・スッキ
    ハ・ジョンウ--藤原伯爵、済州島の賤民の息子、詐欺師
    チョ・ジヌン--上月教明(こうづきのりあき)、元は朝鮮人通訳。秀子の後見人、叔父( 이모부 )
    イ・ドンフィ--ポヨン堂、どもり男
    ユ・ミンチェ--ポヨン堂、クッタニ
    イ・ヨンニョ--ポヨン堂、ポクスン、闇の人身売買女
    高木りな--秀子の母(写真のみ)、秀子を産んですぐ亡くなる
    ムン・ソリ--上月教明の妻、秀子の叔母、秀子の母の妹
    チョ・ウニョン--幼い秀子
    ハン・ハナ--侍女、純子

  • 語学指導---泉 千春、日本語翻訳、日本語指導

あらすじ(ネタバレなし)

時は、1930年日本統治下の韓国。秀子(キム・ミニ)は、かごの中の鳥だ。朝から朗読、美術、美容と毎日することが決まっている。身の回りのすべては侍女がしてくれるので何不自由ない暮らしだが、常に叔父 上月教明(チョ・ジヌン)の監視下にあった。上月は定期的に富裕層を集めては秀子にエロ骨董本の朗読をさせ、それを競売にかけては楽しんでいた。いつか秀子と結婚し、財産をいただこうと企んでいる。

秀子の財産を狙ってる人間は上月だけではない。藤原伯爵(ハ・ジョンウ)も同じである。莫大な財産をもつ秀子を誘惑して財産をだましとってやろうと、闇の商売屋ポヨン堂の中からナム・スッキ(キム・テリ)に白羽の矢を当て、彼女を秀子の侍女珠子(たまこ)として邸宅に送り込む。

珠子は生まれながらに闇商売で生きてきたすれっからしである。今回もさくっと稼いでやろうと考えて、意気揚々と侍女になりすまし邸宅に乗り込んだ。ところが目の前に現れたお嬢様秀子は、珠子が今まで見たことのないような高貴な光と美しさをまとっている。おまけに、小鳥のように純粋な心だ。珠子はお嬢様をだますことに少しずつ罪悪感を感じるようになる。

一方、藤原は本格的に行動を起こし始める。珠子はお嬢様が藤原に誘惑されないように祈りながらも、藤原との徒党を拒否することができない。上月教明の存在も目障りだ。彼も虎視眈々と秀子の莫大な財産を狙っている。お嬢様は上月に抑圧されて育った故、彼に逆らうことができないようだ。

この上月家はまったく薄気味悪い家だ。珠子はこの家に来た時からこの薄気味悪さを肌に感じていた。その籠の中の鳥、お嬢様が痛々しかった。お嬢様を救いたい。でも藤原を裏切ることができない。苦悩する珠子。その珠子の心をすべて見透かしている人物がいた。お嬢様だった。いつしかお嬢様の心の中でも珠子への愛情が大きくなっていった。

二人の女と二人の男。騙し騙されて、エロスが渦巻く嵐の中でめくるめく愛を探し求める。究極の愛とは何だ?! それはエロスの中にあるのか? エロスの向こう岸にあるのか? それともエロス自身なのか?! とうとうパク・チャヌクのエロエロ魂が露わになる。チャヌクがギラギラとして吠えまくる! エロスを分からない奴は見るんでねーんだよ!!!


本映画は全部で3部に分かれる。
一部は、珠子ことスッキ(キム・テリ)の視点から描かれ、
二部は、秀子お嬢様(キム・ミニ)の視点から描かれ、
三部は、特定の視点はなく、一気に物語はクライマックスへと向かう。



※この先は、ネタバレが含まれます。未だ御覧になってない方は読まないことをお勧めします。


パク・チャヌク監督にやられてしまった日本。足ががくがく震え、ただただ茫然とするあたし・・・

なにが茫然って、これほど茫然とすることも近年なかった。
それぐらいやられてしまった感にショックを受けて立ち直れない。

これって、日本人が作るべき映画だったんじゃないのかしら?

この春画のオンパレード、日本文化のエロチシズム、その中にあふれ出る普遍の愛。普通の人々が普通に求める自然な愛情の姿が、この変態マニアックな韓国人監督が作り出したドエロな世界観の中にどどどーーーーんと作りこめられてしまった。

とんでもなく日本人として「やられてしまった感」があって、あたくし、あたくし・・・

茫然自失ですってば・・・

2018.5.18 カンヌ映画祭にて
(C)Ian Gavan/Getty Images

見ろ! この写真のパク・チャヌクの勝ち誇った顔を!

えへん。してやったり、とほくそ笑んでいるではないか!

彼は日本と日本文化に敬意を払いながらも、日本の文化的遺産である春画とそれをとりまくエロ人間どもの悲哀を見事なまでに映像化した。敵国日本の文化の略奪をやりのけて、「ざまーみろ!」とでも言いたげだ。なんてことだ!


たかが春画と思うかもしれないが、わたしは春画だけの話をしているのではない。着物や日本語、立ち居振る舞いや所作、そしてとんでもなく価値のつけがたい日本の耽美な文化が、一韓国人監督によって神がかりなほど変態チックに映画化され世界に発信された瞬間、あたかも胸から心臓が奪われたかのように喪失感を覚えたのは私だけか? 映画を見た日本の文化人は全員腰を抜かしたに違いない。


正直に言う。もちろん、

うれすいっっっ!!! 

日本文化が、日本人の手でなくとも、あの鬼才パク・チャヌクによって世界に表現されたことはうれしい! とんでもなく光栄だ!

しかし、手放しで喜べない、どうしようもない虚脱感を感じるのである。魂を抜き取られたかのような茫然自失を。新たな文化的喪失感とでもいうのだろうか。この映画は、エロエロ度世界No.1の異名をもつ日本人こそが自己文化に潜むエロとグロをこれでもかとかなぐり込めて作ってほしかった高尚な分野だったのだ・・・。大島渚監督~、墓場から戻ってきてくれ~!

チッキショー。


パク・チャヌク監督は、カンヌ映画祭で、原作「荊の城」(サラ・ウォーターズ著)という西洋の作品をなぜわざわざ日本をモチーフにして映画化したのか?という質問に答えてこう答えた。

「1930年代の韓国は、日本に支配されていながらも、日本人や日本の文化に強い憧れを抱く人もいました。彼らが、日本に魅せられた理由やその心理を描きたい、と強く思っていました。韓国がどうの、日本がどうの、ということではなく当然そこにある社会のヒエラルキーや、個人個人の思いを描きたかった」


当時の韓国人が日本に魅了された理由を探りかった。しかし、日本においても韓国と同じようにヒエラルキー(男尊女卑や貧富の差)に苦しめられる人間の姿があり、国を超えた普遍的な人間の苦悩を映像にしたかったということだ。

かっこいいこと言ってるが(さすがパク・チャヌクだ)、日本文化の中でもエロチシズムに目をつけて、そこから共通の世界観を模索して人間愛を見つめようとしたのだ。

日本人よ、これはまさにわたしたちがやらなければならない仕事だったと思わないか? わたしたちは見事にパク・チャヌクにだしぬかれたのだ。奪われたのだ。きー!悔しいいいいいーっ!(はい。ここまで)

江戸時代、春画は男女関係なく愛された日用品。時代毎の性の美しさ、滑稽さ、知的さにあふれる。

葛飾北斎作

この映画を見て、上記に挙げたショック以外に心に深くひっかかったのは、日本の  春画がモチーフ にされていることであった。パク・チャヌク監督はこの春画に相当心惹かれたと思われる。ふん。ウェルカムだ。

朝鮮時代、もちろん韓国にも春画があったそうだが、それが公にされるということはほとんどなかったと聞く。というのも儒教的思想に支配された韓国では、春画を文化として認めるということも、その希少価値を認めるということもタブー視されてきたからだ。


親切なクムジャさん」のレビューにも書いたが、美術史学者を夢みたぐらいのアート感覚に鋭敏だったパク・チャヌク監督にとっては、日本の春画は数も種類も豊富で、狂喜乱舞。きゃ 見るのに飽きなかっただろう。それどころか心ゆくまで堪能し、いつかはこれを題材として映画を作りたいと制作への欲望をたぎらせていたにちがいない。

それほど日本の春画は豊富で歴史がある。庶民の生活にも浸透していて、江戸時代では男女関係なく春画を買うのは日常の風景だったという。性教育や災難除けにも使われた日用品だ。なにしろ写楽以外のほとんどの絵師は、春画を多く描き残したから。ここで注目したいのは、江戸時代の春画は、性の堕落では全くなく、どちらかといえば肯定的で自由で闊達な性愛を表していたということだ。

そう。陽気で前向きの文化遺産だった。
恥じることはないのだ日本人諸君! 春画に胸をはれ!

庶民文化であった春画をめぐるドロドロとした人間模様。悲しい男社会の中にあって虐げられる女性の怒り

1.秀子の財産と体を狙う男どもを嘲笑うかのように、秀子はスッキを愛する。ガールズラブ爆発!

そんな庶民文化であった春画を、現代の屈折した猥褻的エロチシズムという色眼鏡で解釈すると、それはもう春画が可哀想である。その可哀想を容赦なく映像化したのがこの映画である。春画すまぬ!

外国人侍女のスッキ(キム・テリ)が、お嬢様(キム・ミニ)が日本の卑猥な春画本を小さい頃から強制的に朗読させられたり、競売場檀上で卑猥なポーズをとらされていたことを知り、激高して放ったセリフが次である。

「こんなものを読んだのですか?! あの汚いじじーと!?」

彼女はそう叫んで春画を破り捨てるのだが、確かに、秀子お嬢様には大いに同情するものがある(何度も言うが、春画に罪はない!)。秀子お嬢様を小さい頃から恐怖で支配し、まともな教育をほどこさず、猥褻な単語ばかりを朗読させてきた上月教明(チョ・ジヌン)こそはこの映画の中で最高に悪い男であり、万死に値する!

秀子は、この悪魔のような上月という男から逃げて自由になりいと長年思っていた。それゆえ、財産を半分くれたら望みを叶えてやると誘ってきた藤原伯爵(ハ・ジョンウ)と手を組む。二人は、秀子の身代わりとなる侍女を精神病院にぶち込んだ後、別人となって人生を新しく生きたいと願った。

ところが、運命は思いもよらない悪戯をする。なんと侍女として現れたのは、後に秀子の心を虜にするスッキ(キム・テリ)であった。スッキは秀子を、秀子はスッキを陥れようとしていたのにも関わらず、二人は互いを深く愛するようになる。秀子もスッキも藤原伯爵を裏切り、互いに計画のすべてを打ち明け、本当の「自由」をつかむまで二人で共闘することを心に誓い合う。

ああ! 美しきガールズラブ! 悶えるわん!

ここで注目すべきは、秀子はあれほど美しく、上月や藤原伯爵等、言い寄る男は多かったにも関わらず、どの男にもなびかない。純朴なスッキにのみ心を開き、終始彼女だけに愛を貫いたことだ。これだけチンコだの、マンコだの、変態チックな体位だの、ムチ打ちだのを子供の頃から頭と体に叩き込まれてきたにも拘わらず、


彼女の心は変態魔人にならなかった!

この点は、大いに注目に値する!
秀子ってすごい!

なに? 恋愛の対象が女性になったこと自体が変態だと?
あんた、古すぎるっ! 変態じじー(上月)と寝るよりは、ずっとまし。


ちなみに、春画燃ゆる江戸時代においては恋愛の対象は男女、男男、女女とそれぞれ自由だったと聞く。これは性が乱れていたのではなく、ともに幸せを築く対象を「自由に」選べる風土がそもそもあったからである。同性愛が異端視されるようになったのは、明治維新を境にキリスト教が日本に入ってきてからである。日本文化ってなんて先進的で自由だったんでしょう!

よって、秀子がスッキを愛しても、性の本質としてはなんら不思議はないのだ。
自由で真摯な恋愛こそが文明開化を呼ぶ!


まさに春画パワーである! ああだれに憚らん(はばからん)。
女性よ女性に恋せよ。

2.圧倒的な男尊社会の中にあって、終始、抑圧される女・子供の姿。

この映画、非常におもしろい。
クソ男どもが暴力と恐怖でもって、始終、女・子供を虐げるシーン満載のマッチョ映画なのだ

悶えちゃう! 以下見ていこう。


スッキがお嬢様のことを愛してしまい、なかなか計画が前に進まなくなったことにイラ立った藤原がスッキを雑木林に呼びつけ、「お前のせいで台無しだ!」と怒るシーン。藤原はこともあろうか、

スッキの手を自分のイチモツにいやらしく何度も押し付けながら、怒りまくる。


ああん。なんと下半身マッチョなシーンだろう。
女は男のイチモツを触らせておけば従順になると思っているのか。すてき



幼い秀子が叔母といっしょに卑猥な本を朗読させられていたシーン。
「チンポ、マンコ・・・」の部分で二人がクスクス笑ってしまうと、黒い手袋をはめた上月が二人の背後に立ち、顔を容赦なくねじ伏せる。息もできず呻くだけの二人。圧倒的家父長マッチョにしびれるっ!

・・



上月は、ことあるごとに地下にある恐ろしいものの存在を幼い秀子に思い出させ、恐怖心を植え続けた。その存在とは何か?

そう・・・、それは、化け物蛸(ばけものだこ)だった。


春画を見て育った秀子は、いつしか北斎の春画に出て来る女性のように、自分もこの大蛸にからまれて、上の口と下の口をちゅぱちゅぱと吸い尽くされると身震いした。

また、地下にはホルモン漬けにされた生殖器が大量に保管されている。
上月は、この世のものとは思えないザ・変態部屋を地下に作り、自分の世界を大満喫していたのである。これぞニートの鏡! 純真な子供にとっては悪夢のような部屋だ。大蛸マッチョに大興奮!


スッキを精神病院にぶち込んだ後、藤原がホテルで秀子を襲うシーン(正確には秀子がスッキを助けるために藤原を巧妙に色仕掛けにかけたのだが)。

酒に酔った藤原は美しい秀子が、夜自分の部屋を訪れたことに興奮する。
男ってバカね。


「たくさん教えたい。まったく違う女になりますよ。
・・・女というものは力ずくの関係で極上の快楽を感じます。
じゃあ下着を破ります!」


と秀子を襲うも、藤原は秀子が酒に仕込んだアヘンで昏倒してしまう。ぶはは。
力づくマッチョって最高!


どんなにマッチョ責めされようとも屈服しないガールズラブ! これがこの映画の醍醐味だい!

どんなに上月が、藤原が、女なんてこんなものよと痛めつけようと、秀子&スッキガールズは糞マッチョ男どもなんかに負けなかった。そこが痛快なのだよこの映画は!


わたしは秀子がスッキだけに愛を貫いたことに、最高に感動する。

藤原との計画が成功したら、とっとと海外に逃亡して自由に遊び暮らせたはずなのに、何ももたない貧しい賤民のスッキとの愛を選び、真心を捧げた。おそらく秀子にとっては初めての恋愛感情。

幼少時からさんざん男に苦しめられた故、恋愛の対象が女になったのがその理由かはわからない。しかし、秀子が母の顔を知らずに育ったことが恋母感情をますます強くしていったことは否定できない。献身的に尽くすスッキの姿が疑似的な母の役割となり、この母を守りたい愛されたいという感情が秀子を突き動かしたのかもしれない。

わたしは秀子と藤原との新婚初夜のシーンがめちゃめちゃ好きだ


秀子は、着物をさらりと脱ぎ、素っ裸になるとさっさと一人で布団に入り、一人であえぎながら独りファックをする。芝居を打っているので、それをスッキに聞かせなければならない。悲しいシーンだ。藤原はお預けをくらった犬のように、唖然とそれを見ている。

独りファックが終わると、秀子はさっさと立ち上がり、藤原の面前で着物をはおり、帯をきつくきゅっと結ぶ。あんたみたいな糞男には指一本この体には触れさせないわっっ!とでも言いたげに。その姿が、むしゃぶりつきたくなるように格好よかった。

キム・ミニさん、ほんっとあなたって、女っぷり最高! あたしを嫁にしてほしー。

では、パク・チャヌクはフェミニストなのか?

画像元:매경닷컴

この映画は最初から陰鬱で不気味なシーンが多く、チンコだのマンコだの、うんこだのの下ネタ語ばかりでなく、卑猥な絵までもがんがん映像に乗り、一種異様な空気にめげそうになるかもしれない。

けれども、その陰鬱で封建的な世界の中で泣いてばかりの女性が、最後はクソ男どもに飛び蹴りして逃げ、船上でがはははは!と笑う映画だ。女性を縛り付けた差別的なものに鉄拳を食らわして、高らかに笑って終わるハッピーエンド映画なのである。


わたしは、パク・チャヌク監督がフェミニストとは全く思えないが(よくわからない。彼は蔑視派でもフェミ派でもどちらでもなく、単に、世の中の固定観念をシニカルにつつきたい派なのだと思う)、今回は、男根思想にとりつかれた哀れな男どもの末路を描きたかったのだと推測する。ガールズパワーは男根思想を嘲笑う道具に過ぎない。

パク・チャヌクは偏った思想は持たない人間だろう。安っぽい思想には見向きもせず、女にからみつく大蛸のほうにまず興味を示す(笑)。これだけは間違いない! それは絵的に世の中に訴える「力」があるからだ。


パク・チャヌクこそは、世の中の主流と呼ばれているものに、石を投げ、水面が揺れるのをひたすらほくそ笑むただのエロじじーです(笑)。でも、誰もしないからこそ彼が天才鬼才に思える。それは勇気がいる行為であり、影響力が大きい。

固定観念に疑問をもち、だれも振り向かないことに悶えるほど集中して取り組む。それがパク・チャヌクである。まるで地下室にいる上月のように。

この映画は、そんな悪童の試みに満ち溢れていて、すこぶる楽しい。

・・

上月の独白こそはパク・チャヌク監督の告白か!?

1.上月の頭は死ぬ間際までチンコマンコ思想に侵されていた。合掌!

わたしは映画を見ている間、この上月教明(チョ・ジヌン)が登場した瞬間から、なにやらもやもや~っとしたものを感じていた。終盤になってそれが明白になった瞬間があった。

それは、この上月こそはパク・チャヌクなのではないのか!?ということだ。パク・チャヌクはこの上月に自分を投影して登場させたのではないか?! パク・チャヌクの告白が聞こえる。


秀子に逃亡された上月は、人生の楽しみそのものだった変態朗読会を開くことができなくなってしまった。おまけに財産も失い、使用人に給料も払えない。独りぼっちになった。

藤田伯爵を捕まえて地下で拷問責めにする時、彼はこう言う。


「おれはいやらしい話が好きな年寄りに過ぎない。
 同じ話でも想像は人それぞれ。その一つ一つをのぞき見るのが
 この年寄りの道楽だったのに、なくなってしまってどうする?

 お前だけでも話してくれ。
 秀子、あの女の味はどうだった?
 よく熟していたか? 聞かせてくれ。
 どこから手をつけた? 顔? いきなりおマンコ?
 柔らかかったか? シワは多かったか? たっぷり濡れていたか?・・・早くおしえてくれ・・・」


わたしは上月の独白を聞いていて、彼に同情する気持ちを禁じ得なかった。彼は、たしかに秀子を言葉と力の暴力で支配してきたが、秀子を手籠め(レイプ)にするようなことはしていないのだ。

もしかしたら、彼は肉体的には不能で、いやらしい話を聞いたり、のぞき見したりすることでしか性的興奮を感じられなかったのかもしれない。チンコマンコの朗読会を競売し、業界の紳士たちと猥談をするのが唯一の楽しみだったのだろう。
膨大な世界の春画を集めたり、チンコマンコのホルモン漬けを楽しんだり、不能ゆえのフラストレーションの現れだった。

ふむ。じつに哀れだ。
金持ちはそんなことにしか金を使おうと思わないのか。

彼が秀子を幼少期から強姦していたら、それこそこの映画は悲劇で笑えなかったが、そうではないことを知り、わたしは上月がただの哀れで滑稽なじーさんにしか映らなくなってしまった。男なんてこんな卑小なもんだとでも言いたいのかパク・チャヌク監督。

一方の藤原伯爵だが、実はこの映画の中で彼が一番可哀想だと思ったのはわたしだけか?

2.実は、一番可哀想だったのが藤原伯爵。ハ・ジョンウ、見事な役柄引き受けた!

もうまぬけの極致と言えば藤原伯爵だった。

この人、ある意味とってもいい人なのだ。たしかに、秀子を襲おうとしたこと数回あるが、無理やりではなく、どちらかと言えば、この状況なら合意あるんじゃないの?という雰囲気の中だった。しかも、秀子を金目当てではあるにせよ、軟禁地獄から自由にしてあげようとした。同情や憐憫もあったのだ。

にもかかわらず、秀子には騙され、スッキにも出し抜かれ、最後はエロじじー上月に捕まって指チョンパされてしまう。水銀の混ざった煙草を吸い、上月とともに地下室でご臨終になってしまうのだが、

彼が唯一人生で成し遂げたこととは、最後まで己のチンポを守ったことだったえらいぞ!


チンコマンコの猥談に最後まで興じた上月と、己のチンポ防衛にこだわった藤原伯爵。男どもは最後までなんと狭くてくだらない世界に縮こまっているのだろうと呆れる一方、秀子&スッキの女性陣は大海を進む船上で永遠の愛を語っていた。

彼女たちは男どもにはっきりと宣言する。


「力づくの関係で快楽は感じない」と。



悪魔のような朗読会に使っていた黒手袋を大海原に投げ、悲しかった過去と決別する二人。そう。女どもよ、あんたたちの勝ちよ。世の中のだれが何と言おうとも、そんなもん気にすんな。固定観念にとらわれず、ずーっと愛し合っちゃってくださいな。

見終わって分かるキャスティングのすばらしさ!

キム・ミニ
ホン・サンス監督との不倫騒動でキム・ミニさんのイメージ全然良くないのに、キャスティング的にどうかなと思った映画だったが、意外や意外、終わってみるとすごくよかった! キム・ミニと清純な秀子がしっくり来たのは、これがガールズラブだったからだと確信している。

キム・テリ
過去、代表的な作品に出合えなかったが、この作品は彼女の代表作となったのではないか。すれっからしだが純朴なスッキ役は韓国映画を愛するわたしたちの胸にいつまでも残るでしょう。今年30才とは思えない童顔。美しい裸体さんきゅ!今後が楽しみです。

ハ・ジョンウ
演技はいつものように申し分なし。慣れない日本語、たくさん話してくれてありがとう・とくに「あまりにもおかわいそうで、ベロベロとなめて、よしよしとお撫でしとうございます」のセリフは涙が出るほどわろた。こんなセリフ、世界のハ・ジョンウが日本語で言ってくれるとは思わなかった。宝っす!!!

チョ・ジヌン
変態エロじじー役、すばらしかったの一言。一番日本語の発音が上手かったように思う。特にアクセントが。エロじじー度がいやらしくて身悶えした。あなたにしかこの役できない。ほんとにありがとー。

今作の心に残る名言 -「新しい靴だと、慣れた道も初めてみたい」

Youchan
https://rayspace.tistory.com/697

それは、秀子お嬢様が、同僚に靴を隠された珠子(スッキ)に自分の靴棚から靴をあげるシーン。ずらりとならぶ靴を見ながら、秀子がぼそりとつぶやく。

「新しい靴だと、慣れた道も初めてみたい」

とても感動した。
わたしは、新しい靴を履いただけでこの感覚をもてた秀子が大好きになった。
パク・チャヌク監督の感性だろう。この新鮮な感覚は胸に残る。

秀子は上月によってずっと軟禁状態にされてきた人生だ。
つまり、外を歩く靴など磨り減ることもなく、新中古品のように保存されていたのだろう。秀子にとっては、外の世界に出ることは一大事の冒険だ。つねに初めての道ばかりに感じる。鳥の籠の秀子。そんな秀子がとても不憫でいじらしく、愛しいと思えた。

変態レビュー終わりたくない! 最後に。

本作「お嬢さん」は、書きたいことが多く、まだまだネタは尽きません。
わたしがとったメモも膨大に残っています。
また後日、日を改めてレビュー第2弾を書きたいと思っています。変態パク・チャヌクワールド愛してますから! 乞うご期待!


                                       毒女&どうしようもない変態の悦子より

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毒女 悦子

韓国映画をみてハッと胸をわしづかみにされたことありませんか?
悲しい時つらい時に韓国映画を見て、心がほんのすこし救われたことありませんか? しあわせを感じたことありませんか?

わたしはたくさんあります。

韓国映画のもつ奥深さになぐさめられたり、息もできない胸苦しさを覚えたり、一日中その余韻に浸ったり、夢の中まで追いかけられたり。 韓国映画に流れるあたたかいもの、残忍なもの、切ない永遠のものに、 ずっとずっと恋をしています。

同じ気持ちの人たちとつながっていたい。

アラフィフ。老後が心配。
でも死ぬまで韓国映画を抱きしめているぞ。

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