スリルとサスペンス

パク・チャヌク監督がハリウッドでもサイコ魂爆発しちゃった!「イノセント・ガーデン」(2013年公開) [米国・英国映画]

2020-01-14

パク・チャヌクさん、やっぱりあなたは世界のサイコのあこがれ。ひねまがった世界観が悶えるほど美しい!!!

※韓国映画ではありませんが、パク・チャヌクさんが監督したということで、観賞しました。本作はアメリカ・イギリス映画です。

作品情報

  • 評価 5.0★★★★★
  • 制作 2011年~2013年
  • 公開 2013年3月(アメリカ)、2013年5月(日本)
  • 制作国 アメリカ・イギリス
  • 上映時間 99分
  • 原題 Stoker
  • 製作費 約1200万$
  • 監督 パク・チャヌク
  • 脚本 ウェントワース・ミラー
  • 撮影 チョン・ジョンフン
  • 出演
    ミア・ワシコウスカ---インディア・ストーカー、18才
    ニコール・キッドマン---インディアの母、エヴィ・ストーカー
    マシュー・グッド---インディアの叔父、チャーリー、チャールズ・ストーカー
    ダーモット・マローニー---インディアの父、チャーリーの9才年上の兄、リチャード・ストーカー、建築家
    ルーカス・ティル---インディアの同級生、いじめっ子、クリス・ピッツ
    オールディン・エアエンライク---インディアの同級生、ホイップ・テイラー
    フィリス・サマーヴィル---マクガーリック夫人、家政婦
    ラルフ・ブラウン---ハワード保安官
    ジャッキー・ウィーヴァー---グウェンドリン・ストーカー、愛称ジン、インディアの大叔母、リチャードとチャーリーの叔母

※パク・チャヌク監督による「人間ではない存在の三部作シリーズ」
 ①サイボーグでも大丈夫(2006)
 ②渇き(2009)
 ③イノセント・ガーデン(2013)←本作!


あらすじ(ネタバレなし)

父が突然亡くなった。運転中、車ごと橋から転落した。18才の誕生日は父の命日となった。インディア・ストーカー(ミア・ワシコウスカ)は心の中にできた空洞を見つめていた。涙は出ない。お葬式の日、叔父チャーリー(マシュー・グッド)がストーカー家にいた。世界中を放浪する旅人。父の訃報を聞き、急いで帰国したという。亡き父の弟だが、インディアにとっては初対面の親戚だ。父が亡くなったのに哀悼の気持ちも示さず、馴れ馴れしく振る舞ってくるチャーリーに、インディアは違和感を覚える。しかし、母エヴァ(ニコール・キッドマン)はチャーリーを気に入ったようだ。話し相手ができて気が紛れている。

インディアは父が大好きだった。いつも父と連れ立って狩りに出かけては何日も帰らなかった。そんな父と見かけは似ているが中身は非なる叔父チャーリーが、しばらくこの家に滞在するという。しかし、心を見透かすかのようなチャーリーの口ぶりに、インディアは最初心をかき乱され警戒する。チャーリーがこの家に来て数日後、家政婦のマクガーリック夫人が行方不明になる。料理ができないエヴァは途方にくれるが、チャーリーが料理をしてくれる。エヴァは、話題に豊富で紳士的なチャーリーに次第に魅かれていく。

ストーカー家をめぐって不思議な現象が相次いで起こる。大叔母のジン(ジャッキー・ウィーヴァー)が訪ねてくるが、彼女も失踪してしまう。ジンは、父とチャーリーの叔母にあたる。突然戻ってきたチャーリーの過去を知っていた彼女は、母エヴァとインディアのことを心配し、忠告しようとした。しかし、モーテルに泊まっていたはずの彼女は突然何も告げず姿を消してしまった。

ある日、インディアが学校から帰ってきてピアノを弾いていると、いつの間にかチャーリーが横に座り、連弾を始める。戸惑いイラつくインディアだったが、二人の奏でる音色が次第に一つのドラマチックな共鳴音を作り出すと、その官能的な音の耽美さにインディアは意識を失いそうになる。自分の中にあるチャーリーと共鳴する背徳な部分に驚くと同時に、彼の存在が心の奥深くに入り込んでいることに気がつく。学校においても異変が起こっていた。インディアにあこがれていた男子生徒ホイップ(オールディン・エアエンライク)が行方不明となっていた。

一連の失踪事件とストーカー家は関係があるのか。そして、ストーカー家に入り込んだチャーリーは何者なのか。チャーリーは失踪事件に関与しているのか。インディアが父からプレゼントされたカギで、父の引き出しをそっと開けると、そこには彼女が知らなかったストーカー家の過去が隠されていた。


鬼才パク・チャヌクが終にハリウッドデビュー! パク・チャヌクが渾身の力をこめて制作した「イノセント・ガーデン」。脚本は「プリズン・ブレイク」のウェントワース・ミラーが書きあげた。血がほとばしるように吹き出す独特のブラックワールドに、あなたは目をふせるのか? それともこれに陶酔するのか? 人間に潜む悪魔のような本質を細胞単位まで分解し、いじくり倒して、食い散らかすパク・チャヌクとウェントワース・ミラー。二人が創り出すサイキックな世界観に唾を吐き捨てるあなたはただの凡人であり、拍手喝采するあなたはただの変態だ。だが、この変態どもが地球を動かしていくのである。変態軍団よ、自信をもとーぜ!



※この先は、ネタバレが含まれます。未だ御覧になってない方は読まないことをお勧めします。


頭がおかしくなりそう。パク・チャヌクがわたしを汚していく。こんな映画好きじゃなかったのに・・・、魅かれていくあたし。

ほんとうに頭がおかしくなりそうである。

こんな映画、ひと昔前なら「大っきらい!」と、観賞後大声で叫んでいたのに、今じゃ、評価に5.0★★★★もつける自分になってしまった。どんどん趣向が変態化していく自分が心配になってくる。

しかし、何だろうこの陶酔感は。感動と似て非なる感覚だ。この映画がもつ表現としての二つの美しさに陶酔してしまっている。一つは映像美。一つは、本質美。つまり、悪魔的な人間の本質さえも美しく見えてしまう恐ろしさだ。それに陶酔する自分がいるのだから、もう完全にパク・チャヌク変態ワールドに侵されているとしか考えられない。

この気持ち、だれか分かってもらえるだろうか。それほどこの映画、すばらしかった!

・・

ミア・ワシコウスカの美しさが、この変態ワールドを一層の高嶺に導く。人間はみな病んでいる。さぁ、変態愛を語ろうぜ!

1.ミア・ワシコウスカの演じるインディア。サイコは自分を選べない。しょせんサイコはサイコだから。

サイコビッチのご誕生~

この映画、二度目を見ると、ああ、もう冒頭からネタばらししてくれてたのねと分かる。でも、初めましての人は当然それが分からない。

ママのブラウスに、パパのベルトを締め、叔父から贈られた靴を履くインディア。そしてこれが自分なのだと薄っすら笑う。

花が色を選べないように、人は自分を選べない。

彼女の放ったこの言葉を思い出して戦慄するのは、もちろん映画の最後でだ。自分の中に潜む人間性を拒む遺伝子の疼(うず)きに、インディアが一切抗(あらが)うことを放棄した様を見て、観客は背筋が凍りつく。インディアが銃をもち、血だらけになって逃げまどう保安官に狙いを定めた瞬間、そこには一人のとんでもなく冷徹なサイコビッチが誕生していた。野花に血が飛び散る様さえ美しく、彼女は絵画を観賞するかのように引き金を引いた。

このインディアの異常性に早くから気づいていたのは、チャーリーではなく、ほかでもない父リチャードであった。小さい頃から狩猟を覚えさせる(動物を殺す)ことで、人間を殺さずにすむのではないかと彼は思ったのだ。インディアは叔父チャーリーと出会ってから、父がなぜ狩猟を自分に教えたのかに気づいていく。

この映画は何度みても飽きない。丹念に仕込まれた伏線に溜息するばかりだ。

・・

2.ミア・ワシコウスカのすばらしさ。さすがA級役者のすごさを見せつけられる。


主役を演じたミア・ワシコウスカの不思議な美しさは、映画に陰鬱や不気味さといった暗さよりも、官能的な美しさと愛しさを与えてくれた。これは異論がないだろう。

インディアは、気難しく、いつも口をへの字に曲げて、眉間にシワを寄せ、世の中を斜めに見る女の子だ。そんな女の子、可愛くないはずなのだが、それが不思議と可愛く見えてしまう。愛しくなるのだ。陶器のような白い肌と孤高な横顔が哀れを誘うのか。観客は、大好きだった父を失くして、自分が愛した世界が壊れないよう必死につっぱって生きようとする彼女に味方してしまう。

当時24才のミアだが、18才のインディアを見事に演じている。未成熟なインディアに心を寄せ、インディアの側に立って叔父チャーリーに不快感を抱いていた観客は、最後になるにつれ、見事に裏切られていくからだ。チャーリーに感じる違和感と共感のはざまに立ちながら、結局は自分の体の中に流れるサイキックな黒い遺伝子に逆らえず、その発露に身を委ねてしまうインディア。ああ、結局、サイキックな欲求に負けちゃうのね。でも美しければなんでもいいわと私なんかは許してしまった。

インディアのサイコ魂を一番最初にゆさぶったのは、まちがいなく家政婦マクガーリック夫人の死体を地下の冷凍庫で見つけた時だろう。彼女にアイスクリームを冷凍庫まで運ばせたのはチャーリーであり、チャーリーこそは自分が殺したマクガーリック夫人の死体をインディアに見つけてほしかった。そして、それを見た彼女の反応を知りたかった。殺して死体を見る喜びを共有したかった。インディアならこの自分の中にある、人を殺さずにはいられない欲求を分かってくれると長年夢想していたからだ。


きゃ。サイコってやっぱり異常よね。


ザ・変態レッスン。我らが愛するインディアが100%サイコちゃんへと脱皮する変遷を細かく見て行こう!

スクールバス。インディアの横に座る人はいない。いつも独りぼっちだ。

インディアは悩みながら苦しみながらサイコヘと変貌していった。はっきり言ってこの映画はこの変遷の描写が悶えるほどすばらしかった!
わたくし、パク・チャヌク変態門下生としては、この作品に敬意を払う以上、その過程をよく享受しなければ師匠に顔向けできない。以下、見ていきたい。

①[狩猟]
もちろん、小さい頃から予兆はあった。それは上記にも書いたが、父のリチャードが見抜いていてその遺伝子の発露を防ぐために、狩猟を教えていた。周りの自然状況を観察し、獲物が表れるまで耐えて何時間も待つ狩猟は短気な行動を徹底的に排除するからだ。しかし、サイコにとってもこの待って襲う手法は最高のレッスンになる。小さい頃から武器を与えてしまったのかもしれない。
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②[父親の死去]
18才の誕生日に父が亡くなる。唯一の歯止めであった父がなくなったことで、インディアの心の奥底にあった本当の自分になりたいという本能が芽生えはじめる。例、ベッドの上で、チャーリーがジョナサンを生き埋めにした時となぜか同じしぐさを繰り返す。サイコ遺伝子の発露。
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以後、叔父チャーリーが人生に関わってくる
③[1994年生ワイン]
夕食に、自分の生まれ年である1994年生のワインを特別に用意してくれたチャーリーに、インディアは思いもよらない感動を受ける。自分のことを気にかけてくれる人がいたのだと。叔父サイコへ胸襟を開く手前の段階。しかし、映画をよくみると、チャーリーが家政婦を買収してインディアに過去贈り物を届けていたことがうかがえる。すでにサイコは手を打っていた。サイコの布石。
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④[家政婦の死体]
地下の冷凍庫に家政婦マクガーリック夫人の死体を見つける。インディアは、チャーリーがマクガーリック夫人と言い争う姿を見ていた。その直後に彼女が失踪したことから、インディアはこれが誰の仕業なのかよく知っていた。しかし、彼女はそのことを母親にも警察にも通報しない。このインディアの行動をチャーリーは予測できていたのだろう。サイコの暗黙の連帯。
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⑤[ピアノ連弾]
ピアノ連弾についてはこの先にも書いたが、この映画の中で一番官能的で美しいシーンである。それはもう息をのむエロチシズムだ。この連弾を通じてインディアは、チャーリーが自分と同じ欲求をもって生まれた稀有で禁忌な存在であることを直感する。それはチャーリーへの安堵にも似た信頼となっていく。サイコへの信頼の契機。
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⑥[同級生の殺害]
夜、チャーリーと母エヴァがピアノ連弾をしているのを見たインディアは、夜の街に飛び出す。心に沸いてきたのはさみしさではなく、性的興奮にも似た肉体の疼(うず)きである。体の中で何かが炸裂したように彼女は突き動かされ、ナイトバーで同級生のホイップに声をかける。森の中、激しくキスをする二人。しかし、急に乱暴になるホイップからインディアは逃げようとする。彼女を救ったのはチャーリーだった。

チャーリーがホイップの首をベルトでぎりぎりと絞めて粉砕させた瞬間、インディアの中でなにかが弾けた。インディアの体の上に倒れ込むホイップの死体。インディアは人は殺される瞬間こそが何よりも美しいと確信する。帰宅し、シャワーを全身に浴びながら、ホイップが殺される瞬間を夢想して一人ファックする。二人のサイコ、完全に殺人の共犯となる。
     ↓
⑦[サイコ女ハイヒールを履く]
父の机にある秘密の引き出しを開けたインディアは、チャーリーの正体を知ることになる。実の弟を生き埋めにし、父リチャードを殺し、家政婦を殺し、大叔母ジンを殺し、ホイップを殺した。そしてそのすべてはインディアのためにやったと告白される。自分と同じ血が流れる者同士の宿命なのか。インディアはチャーリーを拒むことができず、贈られたハイヒールに足を通す。最強サイコ誕生のカウントダウンに入る。
     ↓
⑧[保安官にウソをつく]
一連の失踪事件の調査のため訪ねてきた保安官に、インディアは「知らない」とウソをつく。チャーリーに誘われるがまま、ニューヨークに逃亡することを決意する。完全に二人は同志に。
     ↓
⑨[チャーリーを殺し、保安官を殺す]
最後、インディアのサイコ魂が炸裂する。母エヴァを殺すのを共に楽しもうと誘うチャーリーの頭を、インディアは父のライフル銃で吹っ飛ばす。チャーリーを殺害後、インディアは銃をもちながら怪訝な顔をする。なぜチャーリーを撃ったのか分からない。気がついた時にはチャーリーを撃ち殺していた。サイコな血はすでにインディアの心と頭の細胞を侵し、体内に宿った寄生虫が成虫になるようにインディアはもう自分を止めることができなくなっていた。

家を飛び出したインディアは、最後、スピード違反の職質をしてきた保安官を襲う。殺害は、にやりと笑いながら、強固で残忍な意志をもって果たされた。そこにはおどおどして内気なインディアは・・・・・・・・、どこにもいない。

ザ・キリングマシーン、最強サイコのお出ましだ! 

保安官、あんたも殺されたいの? 美しいサイコにとっては殺すことこそが自分表現となった。


告知 殺人や暴力は違法行為です。このブログは殺人を賛美するものではなく、芸術を賛美しています。たとえそれが異端視されたものでも、社会的常識の範囲内にある表現であればOKとみなしています。その意味での変態賛美です。ご理解のほどをよろしくお願いいたします。

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ニコール・キッドマン、マシュー・グッド。変態過ぎて悲しい人間の性をよく演じてくれた。すばらしかった。

1.夫からも子供からも愛を得られなかったわがままエヴァ。ニコール・キッドマンが切なく演じる。

ニコール、あなたの目がこわい・・・

映画の冒頭、リチャードの葬式の時から、ニコール・キッドマンの顔が怖くて、それだけでこの映画成立するんじゃないかと思ったぐらい。ほんとうにニコール・キッドマンの「人形のようだけど、いつも怒ってる顔」がまじ怖かった。マジックで描いたようなきつい目、眉毛、とがった唇。昔は若くて自然美だったけど、経年と美容のせいか、顔が不自然なままきれいになっていく(そこは別作でホラーを作ってもいいかと)。

冗談はさておき、ニコール・キッドマンが演じた母エヴァは、インディアの面倒も見ない、髪をとかしてあげたこともない悪いお母さんに見えるが、さみしさゆえにこんな風になってしまったんだなと同情もする。お父さんと娘が異常に仲が良すぎて、ママだけいつも孤立してたんだね。

我が子にたいして「あなたが人生に絶望し、もがき苦しむ姿を見たい」なんてことを平気で言っちゃうお母さんって確かに最低だけど、でも次の言葉にわたしは仰天した。

「インディア、あなたは誰? なぜ母親を愛せないの?」

この言葉は、エヴァが長年インディアにたいして抱いていた恐れを表している。我が子であって我が子でない。そんな不可思議な感情。言葉に出すとすべてが壊れてしまうのを恐れて、心の奥底に閉じ込めておいた言葉だ。彼女はインディアの中に巣くう大きな闇に気づいていた。この独白は少々長かったが、ニコール・キッドマンの悪魔と対峙する形相は迫力があって、ほんとうにすばらしかった。さすがA級役者!

2.マシュー・グッドが演じる呪われたサイコ遺伝子の持ち主チャーリー。最後まで最強サイコちゃんだった。

死ぬ直前のこの笑顔!サイコチャーリーって最高!

わたしは韓国映画ばかり見ているので、このマシュー・グッドさんについて全く知識がないのだが、すばらしい演技力だったと絶賛する。マシューさん、すっごいイケメンだからか、人間の皮をかぶった冷酷悪魔を演じるのが上手い! この悪魔については、特筆すべきは、同情する点が一切なかったことだ。少なくても映画の中で彼がトラウマを負ったからこんな悪魔になってしまったという説明はなかった。だから、わたしはチャーリーに対して一片の悲しさを感じずにさよならすることができてすごく幸せだった。


チャーリーはほんとに最高だった。
彼は、幼少期に弟のジョナサンを殺し、精神病院に何年も軟禁されていたが、インディアが18才の誕生日を迎えると、リチャード(インディアの父)を呼び出し、彼を事故に見せかけて殺す。自分のサイキックな血が姪のインディアに流れていることを夢想し、将来、インディアが18才になったら彼女と暮らすことを計画。サイコはやはりサイコが好きなのね。

ストーカー家に戻ってきてから起きた数々の失踪事件も、すべて彼が手を下している。まさに、歩く狂気である。名付けて、片っ端からサイコ


チャーリーがサイコ過ぎて悶えた瞬間はいくつもあるが、やはりこの死ぬ直前のシーンは傑作中の傑作だ
娘を連れて行くなと立ちはだかる母エヴァの首を絞め殺そうとし、その断末魔の姿をなんと娘のインディアと楽しもうとした。彼は確信していたのだ。インディアもぜったいにこの瞬間を悶え喜ぶと。

「ハヤク、インディア! ハヤクキテ、ミロヨ!」

彼は、興奮して何度も叫ぶ。苦しむエヴァ。

ところが、やってきたインディアは父の猟銃を抱え、銃先をチャーリーに向ける。瞬間、チャーリーは何が起ころうとしているのかを悟るが、彼は子供のようににやりと笑う。インディアの足にはハイヒールが履かれていた。この世で最高に愛するインディアが自分がプレゼントしたハイヒール姿で、まさに人を殺そうとしている。美しい姿だ! この最高に美しい瞬間に自分が彼女と立ち会っているのだという事実に、チャーリーは震え、神に感謝した。

パンパンという音がして、チャーリの頭に弾は命中し、彼は即死する。壁には滝のような血が飛び散っていた。

チャーリーは最後の最後までしあわせだったんじゃないか? このシーンを見て、わたしは確信して満足感を得た。あんたこそ鉄壁なサイコだったよ。成仏せーよチャーリー。

お気に入りのシーン。最高に官能的なこのシーンはチャヌク芸術が爆発している!

ピアノの連弾。叔父チャーリーとの見事な連弾に恍惚感に襲われるインディア。

冒頭のあらすじにも書いたが、このシーンは、この映画の中でも目玉だろう。

いきなりストーカー家に入り込んできた叔父チャーリーに反発を感じながらも、次第に魅かれていくインディア。彼と自分を強烈にひきつけるものは一体何なのか。その正体に近づくことは自分を失うことのように思えて、インディアは後ずさりしてきた。ある日、ピアノを弾いている自分のところにチャーリーが連弾でいきなり割り込んでくる。最初はやれるものならやってみなさいよと強がっていたインディアだが、叔父との連弾がすばらしい音の共鳴音となり、思わず息を荒げ、体をくねらせ、エロティックな音の官能美に震えてしまう。

二人の間に、たしかに橋のようなものがあることを感じた瞬間だ。
セックス以上の心が震える共感。それは、孤独なインディアが長い間求めてきた魂のやすらぎだった。

この時のインディアは、まだ人間的な悲しみや温かさを求めるという感情が残されていた。自分が何者かを知ることに怯えていた時代だ。音楽を通じて官能し合うという設定が、たとえサイコ同士とはいえ、正直にすばらしかった。

パク・チャヌク監督とチョン・ジョンフン撮影監督のタッグ。映像美はいつものように申し分なし!

この映画に繰り出される映像美を挙げていくと、それだけで3時間はかかりそうだ。100枚くらい画像を使ってしまいそうなので、その内の数枚で許してほしい。

追求される映像美。美術館に行くような錯覚さえ覚えるパク・チャヌクワールドだ。

これら映像美は、もちろん音響や間合い、役者のセリフと合わさって完成されていくものゆえ、映像だけで美は完成しないのは言うまでもない。しかし、ほんとうにこの映画、美術館に来たのかと見まごうような、ワンシーン毎に考え尽くされた曲線や直線、光と影が見事なイメージでもって構成され配置されているのが分かる。ある時はメトロノームを使い、激しい雨音を使い、観客を奇妙な世界へと引きずり込んでいく。

見ているだけで目が喜ぶ映画だ。さすが美術史学者を目指したパク・チャヌクらしい。韓国映画に出てくるような、肉を切り刻み骨を砕いて喜ぶようなグロ丸出しのシーンはなく、もっと別の、悲しいほど背徳を背負った人間にある耽美な世界観を追求したような作品になっている。こんな世界ありえないよという世界を描きながら、普通の人間に潜むエゴイズムを映し出していくから、ああ、こんな世界もあるよねとなっていく。終始一貫そこにあるのは、あくまでも美しくという哲学。

「美しければいい」

パク・チャヌクが目指しているのは常にこれだろう。
正義とか不正義以前に、彼がこだわるもの。それは「美」だ。まるで日本の谷崎潤一郎のような世界観ではないか。

撮影監督のチョン・ジョンフン氏とは、「オールド・ボーイ」「親切なクムジャさん」「渇き」と、何作品もともに撮ってきているが、今回の映画はわたしが知る中でも、「親切なクムジャさん」に次ぐ、すばらしい出来栄えだと思っている。何度も見直して悶えたい作品だ!

パク・チャヌク、チョン・ジョンフン、ウェントワース・ミラー、あんたら変態ども、大好きだー! ありがとー!

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パク・チャヌク監督「イノセント・ガーデン」2003年
数々の映像美に酔いしれてくれたまえ。


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毒女 悦子

韓国映画をみてハッと胸をわしづかみにされたことありませんか?
悲しい時つらい時に韓国映画を見て、心がほんのすこし救われたことありませんか? しあわせを感じたことありませんか?

わたしはたくさんあります。

韓国映画のもつ奥深さになぐさめられたり、息もできない胸苦しさを覚えたり、一日中その余韻に浸ったり、夢の中まで追いかけられたり。 韓国映画に流れるあたたかいもの、残忍なもの、切ない永遠のものに、 ずっとずっと恋をしています。

同じ気持ちの人たちとつながっていたい。

アラフィフ。老後が心配。
でも死ぬまで韓国映画を抱きしめているぞ。

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