オム・ジウォンとコン・ヒョジンのW主演なら何としてでも見たい!

作品情報
●評価 4.0★★★★
●制作 2016年
●上映時間 100分
●原題 미씽:사라진 여자(ミッシング 消えた女)
●英 語 題 MISSING
●監督 イ・オニ
●脚本 イ・オニ
●出演
オム・ジウォン、コン・ヒョジン、パク・ヘジュン、キム・ヒウォン、キム・ジフン、チャン・ウォニョン、キル・ヘヨン、キム・ジング、キム・ソニョン他
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あらすじ
イ・ジソン(オム・ジョンア)はシングルマザーだ。4才になる娘ダウン(ソ・ハニ)の親権をめぐって、医者である元夫とは係争中である。
仕事があまりにも忙しいため、ジソンは中国人ベビーシッターを住み込みで雇うことを決める。彼女の名前はハンメ(コン・ヒョジン)。派遣会社の人の親戚だという。
ある木曜日の朝、ジソンが出勤して忙しい一日を終えて帰宅すると、ハンメとダウンがいなかった。そのうち戻るだろうと待ってみるが、翌日になっても二人は戻らない。心配になったジソンは警察に相談するが、娘を渡したくないが故の自作自演ではないかとかえって疑いをかけられる。
孤立無援な中、警察署を飛び出し、自分の力で探し出そうとするジソン。周囲に聞きまわる内に、自分が知らなかったハンメの横顔が見えてくる。それはまるで別人のハンメだった。ジソンの頭は混乱する。これはハンメが計画したことなのか? だとしたらなぜそんなことを。果たして自分の娘は無事なのか。
ジソンはひたすら娘を求めて走り回る。
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※ここから先はネタばれを含みます。未だ観ていない方は、読まないことをお勧めします。
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この映画が描きたかったものはなにか?
たいそうなタイトルを書いたが、正直わからない。
イ・オニ監督のインタビュー記事がないからだ。韓国のサイトを探せばインタビュー記事が出て来ると思うのだが、残念ながらわたしには検索することができなかったので、ここでは推測で書くことを許されたい。
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この映画に出て来る題材が社会問題のテーマになるような、中国からの花嫁(農村の花嫁不足)、外国人嫁への虐待、生体肝移植であることから、なにかしら監督の強い思い入れやメッセージがあるのかと最初は勘ぐったが、そうではなく、逆に、そういったレッテルを一切排除したかったのではないかと感じた。
まず、なぜ監督は「中国」からの花嫁を設定したのかという点について考えていくと、中国人のハンメを演じるのがコン・ヒョジンさんであることから、東南アジアと設定すると容姿がマッチングしない。かつ、中国語ならコン・ヒョジンさんも特訓すればクリアできるという点が考慮されたのであろう。
仮に、花嫁がベトナムやタイ、フィリピンから来たとすると、現実に近年夫の花嫁への暴力が韓国内で社会問題化してきたことから、社会派の映画と捉えられることは避けられない。むしろそれを避けるために「中国からの」とした可能性がある。
つまり、この映画が描きたかったのは(あくまでも私の個人的考えだが)、社会問題を提起するというよりも、単純に、オム・ジウォンさんとコン・ヒョジンさんという韓国演技界でも実力派の2人の闘いを描きたかったのではないかということだ。その話題性は興行的には受ける。
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オム・ジウォンさんは、これまで映画21本、テレビドラマ26本を出演されてきた。清純で可憐な役柄が多く、日本でいえば吉永小百合さんのような役者だ。かたやコン・ヒョジンさんは、映画27本、テレビドラマ16本に出演され、一癖も二癖もある役柄をなんなくこなす天才だ。映画賞の受賞は常連である。この実力ある二人がせっかくキャスティングされたのだ。対決させなくて何であろうか。
結果、監督が期待した以上に、オム・ジウォンさんは娘を思う母の鬼執念を存分に、コン・ヒョジンさんは復讐に燃える中国人家政婦の怨念を存分に演じてのけた。
観客は横綱格の2人の演技を見れて満腹になったことは間違いない。
二人の役に共通しているのは、子供に生きていてほしいと願う母の姿だ。ハンメ(コン・ヒョジン)は実娘のためには肝臓も売るし、売春もする。ジソン(オム・ジウォン)も全財産を投げ打ち、警察をあざむいてでも実娘のために走る。それぞれが求められる強い母像を二人が全身全霊をこめて演じた。とてもよかった。
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家政婦と母の戦いだけではない!美人と普通の戦いでもある!キャスティングは絶妙!

コン・ヒョジンさんのことをブスだとは全く思わない。コン・ヒョジンさんはスタイルもいいし、とっても可愛い部類だ。だが、オム・ジウォンさんが美しすぎるのだ。だからといっては何だが、それゆえこの映画は成り立っている。単なる、家政婦と母の戦いだけではない。美人と普通の戦いでもあるのだ。
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1. 可憐で美人なオム母の孤立無援と、普通な雑草女コン家政婦の対比
この映画の見所は2つあるような気がする。
一つは、可憐(かれん)できれいなオム・ジウォンマザーが裁判所にも仕事にも味方されず、おまけに警察から自作自演と疑われて孤立無援になる。観客はああ、かわいそうにとオム母に肩入れする。美人は美人であるだけで生まれた時から得していると世間の女性はひがんでいるので、美人が孤立無援になり泣いていると「少し応援してやろうか」と優しい気持ちになる。
かくいう私もそうだ。美人にたいする上から目線が楽しいのだ。うひひ。
二つ目は、コン・ヒョジン家政婦である。コン家政婦は辛酸なめて生きてきた雑草の女である。引っ込み思案でオム母ほど美人ではない(ブスじゃないぞ。普通)。
普通レベルはよほど才能があるか、性格がよくなければ世間は認めない。そのコン家政婦は周到な計画を練り、オム母に近づき、見事娘を誘拐してのけた。復讐心からとはいえ、その緻密な計画は天才的だ。なによりも最後は、オム母を精神的に狂乱寸前まで追い込んだ。あっぱれだ! たしかに最後戦いに負けて海底に身を投げることになったが、雑草もやるね!と観客は感動した。
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わたしの洞察をひどいと思う人がいたらごめんなさい。
ブスはこんな風にひねくれた考えしかもてないんです。
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2.もしも二人が入れ替わったキャスティングだったらどうだろう?
オム・ジウォンさんもコン・ヒョジンさんも演技力には定評がある。この二人のキャスティングを入れ替えるという発想は、イ・オニ監督にはなかったのだろうか? はて、入れ替えたら興行的に成功したのか? と、しょーもないことをつらつらと考えたものだから、こういうひねくれた洞察が生まれた。自慢ではないが、大きく外れてもいないなとも感じる。
美人は美人なりに、そうでない人はそうでないなりの役に落ちつく。
なぜなら観客が求めるからだ。
つまり、母親ジソン役はやはり美人なオム・ジウォンさんでないと成立せず、薄幸の家政婦ハンメ役は、オム・ジウォンさんほどきれいではないコン・ヒョジンさんでないと成立しなかった。その意味で、監督のキャスティングは絶妙であり最適だったと称賛する。
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腑に落ちないシーンが3つある
わたしがアホなのか、いまだに腑に落ちないシーンがある。
それは、
①ジソン(オム・ジョンア)が天上女人(売春宿)から出てきた時、携帯が鳴り「おまえの娘は誘拐した」と言われて泣き出したが、あの男の声は一体だれだったのか? ハンメの共犯はヒョニク以外にいたのか? 設定が安直な気がしてならない。
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②ハンメ(コン・ヒョジン)が、近所の赤ちゃんをベビーカーごと突き飛ばしたシーンがあるが、あのシーンは何の効果を狙って加えたのか? しかもシートベルトを外して突き飛ばしたのだから、殺害する気持ちすら認められる。
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ハンメのサイコ的二重人格を表現したくて盛り込んだのか?それともストレスでいっぱいになってたハンメが発作的に起こした過ちか? しかしこれは、ハンメがダウンを心から可愛がっていた姿と相容れないものがあるし、売春宿の女同僚も「ハンメはいい子だからいじめないでよ」と証言してたことからも、あまりに整合性がつかない。
ハンメの良さは生来の素直さと、子供を愛する心だ。このシーンはそれに真っ向から反対するものであり、違和感を覚えた。監督、狙いすぎたのでは?
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③最後の海のシーン。オム・ジョンアとコン・ヒョジン、ほんとうにあれだけ深く潜ったのか? CGや仕掛けはないのか? だとしたら海女(あま)さん並みの肺活量だ。すごすぎると思う。今度は二人してあまちゃんパートⅡに登場してもらいたい。
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以上。だれか答を知っていたら教えてくださーい。
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今回の名脇役 キム・ソニョンさん

1995年演劇俳優としてデビューしてる。16作目の映画出演。
今回は、売春宿の女主人を演じていたナイスバディのキム・ソニョンさん、小気味いいセリフやパンチのきいたアドリブの上手さには、思わず笑ってしまう。
最近の映画で覚えているのは「国際市場で逢いましょう」の中で、トクスの妻ヨンジャと市場でケンカする隣店の女主人。髪をつかみ合う派手なケンカ、覚えている人も多いのではないだろうか。
大学では哲学を専攻していたとか。こういう三枚目を演じられる人ほど教養が高いような気がしてならない。ソニョンさん、今後もずっと目が離せない。
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