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こんな糞男イヤだ!!! 絶対おすすめしない映画「ペパーミント・キャンディ」(1999) イ・チャンドン監督、ソル・ギョング主演

2020-01-04

こういう映画が一番困っちゃう。感動できないし、共感もできない。ただ暗く落ち込むだけ。

作品情報

  • 評価 2.0★★
  • 制作 1999年
  • 上映時間 130分
  • 原題 박하사탕(ハッカ飴) 
  • 英語題 Peppermint Candy
  • 監督 イ・チャンドン
  • 脚本 イ・チャンドン
  • 出演
    ソル・ギョング---キム・ヨンホ、元警察官、家具店社長
    ムン・ソリ---ユン・スニム、ヨンホの初恋の女性
    キム・ヨジン---ヤン・ホンジャ、ヨンホの妻
    パク・セボム---シン・クァンナム、ユン・スニムの夫
    ソ・ジョン---ミス・リー、家具店従業員、ヨンホの愛人
    キム・ギョンイク---パク・ミョンシク(「人生は美しいの男」)
    イ・デヨン---カン社長、元刑事
    コ・ソヒ---ジョンスン、群山の喫茶店店員
    ユ・ヨンス---イ刑事
    コン・ヒョンジン---ソン刑事
    チャン・ムニョン---キム・ウォンシク、群山の男、市民活動家
    チ・デハン---刑事
    キム・イングォン---イ兵長、衛兵所
    パク・チヨン---ジョンスン、ヨンホに誤射された女子学生
    パク・キルス---カリボン蜂友会メンバー

    ・・

あらすじ(ネタバレなし)

1999年春、ある男が鉄道自殺をした。その男の名はキム・ヨンホ(ソル・ギョング)。友人に会社の資金を持ち逃げされ、経営していた家具店は倒産。妻とは離婚、子供の親権、しあわせのすべてを失っていた。川辺の掘っ立て小屋で生活するヨンホ。自殺する三日前、ヨンホは自分を裏切った友人を見つけ出し、銃殺しようとするも未遂に終わる。

その夜、一人の男がヨンホを訪ねてくる。初恋の人スニム(ムン・ソリ)の夫クァンナムだった。クァンナム(キム・ヨジン)は、スニムが入院していること。余命いくばくもないこと。そしてヨンナムに会いたがっていることを告げる。ヨンホは15年ぶりにスニムに会いに行く。

病院に着くと、スニムはすでに昏睡状態にあり会話もできなかった。お土産に買ってきたペパーミントキャンディを手にスニムにお別れを告げるヨンホ。病院を出る時、ヨンホはクァンナムからカメラを渡される。それはスニムが15年前、ヨンホのために小遣いを貯めて買ったカメラだった。

文無しのヨンホは、その足で質屋に行き、カメラを換金する。川辺で缶酒を飲みながら情けない自分の姿に泣くヨンホ。どんなに苦しい時も、初恋のスニムだけは心の支えだったのに、形見のカメラを躊躇なく売り飛ばした。しょせん自分の想いなどその程度のものだったのだと気づく。

鬼才イ・チャンドン監督が当時新人のソル・ギョングを主役に大抜擢し、国内外で重要な賞を総なめにした「ペパーミント・キャンディ」。時計の針を過去に逆行させながら物語を進行するという斬新な試みが話題になった。主人公ヨンホがなぜ破滅へと歩むことになったのか。逆進行することで見えてくる複数のターニングポイント。要領よく生きることができない人間の姿を、映画は淡々と映し出していく。



※この先は、ネタバレが含まれます。未だ御覧になってない方は読まないことをお勧めします。


イ・チャンドン監督、こんな暗い映画作ってもだれも幸せを感じない。大衆はバカだから希望を求める。

ソル・ギョングは、この映画で一躍映画スターの仲間入りを果たした。

反面教師に見る映画。サド的思考の監督がもつ視点。「人生とは美しいもの」?

1.ソル・ギョング、見事です!すばらしかった。わたしがヨンホを演じたら、人間性が崩壊していた。

名優ソル・ギョングはこの映画をどう理解していたのだろう?
見ていて不思議に思った。
演じている間、こんな陰鬱で破滅的な映画を作って何の意味があるのか?と監督に疑問をぶつけなかったのだろうか?(あたしって失礼?)

監督はソル・ギョングをこう評価する。
「ソル・ギョングは一見ぶっきらぼうで、外から見ると砂漠のようですが、内面に豊かな水をたたえているような人間です」

警察署勤務時代、暴力的な取り調べをすることに慣れていくヨンホ


当時、駆け出しで無名に近かったソル・ギョングをいきなり主役に抜擢した眼力は、たしかに恐れ入る。それほど普通から崩壊への過程をソル・ギョングは見事に演じていた。じわじわと人間が壊れていく姿は、内臓が細胞単位で腐っていくようなものだろう。人間性が見えない奥深い場所で崩れ落ちていくのだ。異常性が露見する頃は後戻りできないほど鬼化した人間がそこにある。それを時間を逆行して演じていったというのだから、こんなこと果たして誰ができるの? ソル様以外にいないわ! あなたすごい!と絶賛する。彼は、まさに演劇という豊富な水を内にたたえている。


さて、演技の神様、ソル様は偉大な監督様にモノ申すことはできなかっただろうから、わたしが代わりに監督に毒を吐き続けたい。
以下、失礼を許されたい。

さきほどのインタビューで監督は、こう続ける。

「人生は根本的に美しいものだと思っている。それは美しくなければならない。
それを訴える方法は二つ。美しいものを直接見せて訴える方法と、逆の美しくないものを見せて、それでも人生は美しいのだと訴える方法。
この映画を見て、主人公の人生を壊したものは何だったのかを考えてほしい」

なるほど、この映画は、後者の「美しくない」ものを見せて、それでも人生は美しいのだと訴える手法を選んだということがわかる。

へー。そうなんだ。監督は人生とは「美しいもの」と考えているんだ。
だから「美しくない」破壊的なものを見せて美しい生き方を模索させようとしているんだ。

だが、果たしてそうだろうか。
そもそも、人生が「美しいもの」だと考えられる人はほんの一部の恵まれた人に過ぎないのではないか?

人生が美しいものだと甘い幻想を抱けるのは、金持ちか若い連中だけだろう。たいていの人は、生きていくことは修行だと思う。外ではイヤな上司にぺこぺこ頭を下げ、周りに気を使い、家に帰れば帰ったで家族に気を遣う。どこにも気が休まるところなどない。いちいちそんなことで悩んでいるのがイヤだから、鈍感な自分になりたいと願うし、さもなければ聞こえないフリをする。


人生が美しいなんて、一つもない。
人生とは、長くつらく苦悩に満ちていて、たまに道端に咲く野花にホッとするだけの修羅だ。そこに群がって生きる人間どもすら醜いと感じて、いたたまれなくなる。

少なくともわたしはそう思っている。
人生なんて糞美しくもないから、たまに人に優しい言葉をかけられると心から感動するし、うれしくなる。
ああ、今日はラッキーだなってホッとする。ただし、それはほんの一瞬の泡沫(うたかた)だ。これを「人生が美しい」なんて形容詞でくくれるほど、人生にいい思いをしてきた人間は少ないはずだ。

大抵の人間はそうだろう。
人生とは、

「こんなはずじゃなかった」の集合体なのだ。

ゆえに、イ・チャンドン監督の言葉に違和感を覚えるし、破滅人間が周囲にまき散らすだけのこの不快感満載の映画は、むきだしのエゴ人間を見せつけられたようで、精神の疲労感がひどい。映画には明日への活力、ドリンク剤のような要素を求めるわたしには、つらかった。

人間の本質を真正面から見つめる映画というのは、その表現方法次第では観客をひどく苦しめるものになる。

イ・チャンドン監督のように、映画にまず芸術性を優先させる類型の人間は、往々にサド的な思考をもつ。それがすばらしいと賛美する大衆と、わたしのように(芸術がわからないから)賛美しない一部の大衆がいる。申し訳ない。

結局、「希望」を感じさせない映画って、一人ファック映画
自分だけ興奮して絶頂して終わっていく。

2.最後のシーンに感じる虚しさ。運命のせいにして逃げる感に嫌悪感。

最後のシーン。
秋の川辺。ヨンホは友達から離れて、一人はらはらと涙を流す。

印象的な最後のシーンだ。

学生のヨンホが友達の輪から離れて一人になり、秋の陽光を浴びながら、周りの風景を静かに見渡している。ふと、言葉に表せない感情が胸にあふれてくる。涙が頬を流れ落ち、映画はエンディングロールを迎える。

わたしは、監督が脚本を書くにあたり、この最後のシーンが真っ先に心に浮かびあがり、このシーンを生かしたいがために、時間が逆行した作品を作り上げたのだと直感した(推測です)。

それほどこのシーンは芸術性に富んでいて、もの悲しく、切ない。
観客は、このシーンに来る直前まで否応なく主人公の破滅人生をさんざ見せられてきたので、今後主人公が経験していくであろう艱難辛苦の人生を知りつくしている。だからこそ、胸がどうしようもなく切なくなる。芸術のなせる技だ。

「この風景はどこかで見たことがあるような」

ヨンホは独り言ちる(ひとりごちる)が、それもそうだ。
20年後、ヨンホはここから見えるあの鉄橋で鉄道自殺をする運命にある。
あんたはあそこで死んじゃうんだよ!と観客は心で念仏を唱えている。南無南無。


監督は、このシーンで一体なにを表現したかったのか。
さんざん考えたが、ごめんなさい、ただただこのシーンが運命に逆らえない(であろう)人間の悲哀を表現するという芸術性
その一点だけでこのシーンが作られ、最高のエンディングとして納められたのだと毒女は確信している。


それはまるで、悲劇に終わるのが美の極致形とでも主張したいのか、「ソナギ的芸術性」とでも名付けたらいいのか。
韓国独特の、悲劇大好き!的性格が見え隠れする。以前ボロくそに書いてしまったが、「風の丘をこえて」と同じ、まったく共感を呼べない一人ファック芸術なのだ。偉大な芸術家って、ほんと一人ファック家が多い。

何度も言うが、そもそも人生なんて汚いものだ。
中原中也のような「汚れちまった悲しみ」が本質であって、それでも人は、泣いてても仕方ないじゃない。顔をあげて歩きましょうよと、薄汚い人生をえへへと笑いながらと生きていくものなのだ。それこそが美しい人生だ。


最後、ヨンホが感じた表現できない悲しみは、ヨンホだけが変えていけるもの(=人生)だった。人生を作るのは運命ではなく、ヨンホが主体的に作るものであり、運命が先にありきのようなこの映画には絶望しか感じない。

覚えておいたほうがいい。運命という猛獣を野放しにすると、人は運命に食い殺される。ヨンホの自殺は彼が招いたものである。

「戻りたい!」と叫んで死んでいったヨンホ。もしも過去に戻ったとして、はたしていい人生を送れたのか?

1.甘ったれたヨンホ。だからおまえはダメなんだ!

ヨンホは、自殺する寸前、「(あの頃に)戻りたい!」と絶叫していた。
しかし、彼がもしも過去に戻ったとして、人生を好転させることはできたのだろうか?

人生の幕引きをした人が、もしも過去に戻って人生をやり直せるとしたら、それは後出しジャンケンと同じだろう。

卑怯なのだ!

そんなことが簡単にできたら、人間苦労はしない。
最初の人生を、だれも真剣に生きようとしないから。

2.ヨンホの犯した数々の過ち。目立つ異常性。あいごーあいごー!

監督は、ヨンホを普通の「弱い人間」と捉えているようだが、その認識は観客(少なくとも毒女)と大きくずれる。
ヨンホは、監督が思うよりもっとサイコ的な人間に演出されている。「性悪」なのだ。それは作品の各所に現れている。①銃。誰かを道連れに死んでやるサイコ!
最後のあり金はたいて手に入れた銃。ひっそりと自殺するというより、自分を不幸に突き落とした誰かを道連れにしてやろうと考える。最低のゲス野郎だ。

金をもって逃げた共同経営者、株を売りつけた証券会社、融資したサラ金営業マン、はたまた自分を見捨てた妻と子供(現実は、ヨンホが妻子を捨てている。家出したのはヨンホだからだ。人のせいにして恨む異常性)。
だれでもいいから、殺してやろうと息巻く。



①銃。誰かを道連れに死んでやるサイコ!
最後のあり金はたいて手に入れた銃。ひっそりと自殺するというより、自分を不幸に突き落とした誰かを道連れにしてやろうと考える。最低のゲス野郎だ。

金をもって逃げた共同経営者、株を売りつけた証券会社、融資したサラ金営業マン、はたまた自分を見捨てた妻と子供(現実は、ヨンホが妻子を捨てている。家出したのはヨンホだからだ。人のせいにして恨む異常性)。
だれでもいいから、殺してやろうと息巻く。

スニムの夫クァンナムのがっくりした顔。こんな糞男に妻は惚れていたのだから。あいごー!


②殺人未遂サイコ!
金を持ち逃げした友人を撃とうとしたが失敗。交通警察官につかまりそうになったが逃げきる。もしもこの時捕まっていたら、人生は変わっていたかもしれないのにね。あいごー!





③別れた妻宅を訪ねた際、見せた異常性
ドアの錠がかけられていたから良かったものの、もしも奥さんがドアを開けていたらどうなっていたのかと思うくらい、ヨンホの執拗な性格が見え隠れしたシーンだ。ドアの隙間から見えるあいつは、「シャイニング」のジャック・ニコルソンにも劣らない。あいごー!



④初恋の人スニムの愛を受け入れないサイコ!

1980年、軍隊勤務の際、誤って女子学生を誤射してしまったことはヨンホの心を深く痛めただろう。しかし甘えるな! そういった悲しみはこの時代を生き抜いた人なら誰しも負っているものだ。女子学生を誤射したこと、流れ弾にあたり足が不自由になったことは仕方のないことなのだ。スニムの愛を素直に受け入れないひねくれたヨンホの考えがよくわからなかった。この後、ヨンホは飯屋の娘ホンジャと結婚する。わたしは、スニムはヨンホと結婚しないでよかったと思う。なぜ? 異常性がようく見えるから。あいごーあいごー!





⑤飯屋の娘ホンジャの尻をわざと触るサイコ!(④と重複する)
スニムがわざわざ会いにきてくれた。そのずんぐりした手が好きだとヨンホをほめた瞬間、こともあろうかヨンホは飯屋の娘ホンジャの尻を触ってみせる。あ然とするスニム。わたしは正直言って、ヨンホが深い考えがあってこういう行動に出たとは思えなかった。その後、徐々にヨンホの人生の歯車は狂いはじめる。





 


⑥妻ホンジャが出産の時も1mmも興味を示さないサイコ!
それでもこの頃はしあわせだったんだろうね奥さんも。ヨンホが出産に興味を示さない態度にそれほど怒りもしていない。諦めているのか。まったくうれしい素振りのないヨンホに人間としての感性に違和感を覚える。どういう育てられ方したらこうなるんだ!? きっとスニムと結婚してもこういう感じだったのではないか。ったく、あいごーだよー。



以上です。
わたしのレビューに不快感を感じられた方、ごめんなさい。
ほんとにこの映画、好きになれなかった。

わたし、芸術性に比重を置いた映画ってにがてなんですね。とくに希望が見えない映画が。いずれにしても、ペパーミント・キャンディーファンたち、毒ばかり吐いて、すまぬ。でも今後も毒吐きます。毒女だから。

最後に一言だけ言わせて!
ソル様に罪はない!

ル・

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「ペパーミントキャンディ」に登場する美しい挿入歌

1.キム・ミンギの「アチミスル(朝露)」

아침 이술

キム・ミンギの「アチミスル(朝露)아침 이술」。

最後、1979年、学生たちが秋のピクニックで川べりを歩きながら歌った。

1971年に発表され、光州事件などの民主化闘争で若者らの愛唱歌となっていくが、1975年に発禁処分を受け、作曲したキム・ミンギは投獄されたという。ヨンホが軍隊にいた時、緊急出動で弾圧したのはこの民主化運動の学生たちであり、女子学生を誤射している。その後、警察官時代の時も活動家をつかまえては拷問にかけ、優しかったヨンホは人が変わったように猛々しい人物に変貌していく。

毎年、「民主化闘争」で亡くなった多くの人達の記念行事が韓国で行われる。
拷問を受けても生き残った人たちにとっては、この「アスミチル」が今でも心に灯りをともす希望であるという。詩が普遍性を含んでいて、深く感動する。

긴 밤 지새우고 풀잎마다 맺힌(長い長い夜に耐え、草葉に宿る)
진주보다 더 고운 아침이슬처럼(真珠よりも柔和な朝露よ)
내 맘에 설움이 알알이 맺힐 때 (悲しみが一粒、また一粒 こころに宿るときには)
아침 동산에 올라 작은 미소를 배운다(朝の丘に立ち、小さな微笑の意味を知るがいい)

태양은 묘지 위에 붉게 떠오르고(灼熱の太陽は、墓たちの上を照りつける)
한낮의 찌는 더위는 나의 시련일지라(うだるような暑さは、わたしへの試練か)
나 이제 가노라 저 거친 광야에(わたしは行く、あの荒野へ)
서러움 모두 버리고 나 이제 가노라(わたしは行く、悲しみをふり捨て)

2.Sand Pebbles 「나 어떡해(私、どうしよう)」

最後、秋のピクニックで学生が川辺で円陣を組んで歌った。

1977年、Sand Pebblesはこの「 나어떡해 (私、どうししょう)」でMBC主催第1回大学歌謡祭大賞曲を受賞している。これまでもいろいろなドラマや映画で使われているので(例えば、「ベテラン」ファン・ジョンミン主演)、ああ、これね!とくすりと笑った人も多いのではないか。T-ARA の「わたし、どうしよう」もメロディをここからいただいている。ナ~、オットッケ~♪ 耳について離れないメロディだ。

1977年、軍政権下の韓国、貧しい学生たちが手弁当をもって集まり、川辺で手を叩きながら歌った「ナ・オットケ」。素朴でのどかな風景の向こうに、厳しい生活や不穏な政治情勢があった。

歌ひとつとっても感慨深いものを感じる。
この厳しい時代を生き抜いた韓国の人たちに心から感動する。


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毒女 悦子

韓国映画をみてハッと胸をわしづかみにされたことありませんか?
悲しい時つらい時に韓国映画を見て、心がほんのすこし救われたことありませんか? しあわせを感じたことありませんか?

わたしはたくさんあります。

韓国映画のもつ奥深さになぐさめられたり、息もできない胸苦しさを覚えたり、一日中その余韻に浸ったり、夢の中まで追いかけられたり。 韓国映画に流れるあたたかいもの、残忍なもの、切ない永遠のものに、 ずっとずっと恋をしています。

同じ気持ちの人たちとつながっていたい。

アラフィフ。老後が心配。
でも死ぬまで韓国映画を抱きしめているぞ。

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