時代劇

ちょー淫乱エロじじーだけど、やっぱり悶えるほどカッコいいヨン様!「スキャンダル」(2003)

2020-01-25

ペ・ヨンジュン、チョン・ドヨン、イ・ミスクに拍手! 高尚な映画でもないのになぜか心に残る作品。

作品情報

  • 受賞 2003 第24回 青龍映画賞 新人男優賞(ペ・ヨンジュン)
       2004 第41回 大鐘賞映画祭 衣装賞(チョン・グホ,キム・ヒジュ)
       他

  • 評価 4.0★★★★
  • 制作 2003年
  • 上映時間 120分
  • 原作 「危険な関係」Choderlos de Laclos著
  • 原題 스캔들-조선남녀상열지사(スキャンダル - 朝鮮男女相悦之詞)
  • 英語題 SCANDAL
  • 監督  イ・ジェヨン
  • 脚本 キム・デウ、イ・ジェヨン、キム・ヒョンジョン
  • 出演
    ペ・ヨンジュン---チョ・ウォン
    イ・ミスク---チョ氏夫人、ユ長官の正妻
    チョン・ドヨン---ユン家の嫁、チョン・ヒヨン
    チョ・ヒョンジェ---クォン・イノ
    イ・ソヨン---ソオク、ユ長官の側室
    チョン・ヤンジャ---ヒヨンの叔母
    イ・ミジ---ソオクの母
    チェ・ソンミン---チョ・ウォンの側仕え

あらすじ(ネタバレなし)

「スキャンダル」は、2003年韓国で公開後、1週間で100万人を突破したお化け映画である。この映画の目玉は、大ヒットした「冬のソナタ」で好青年チュンサンを演じたペ・ヨンジュンが、光源氏ばりのプレイボーイ、チョ・ウォンを演じ、エロス満載の濡れ場を披露したことが話題となった。2018年には、なんと14年ぶりにデジタルリマスター版が公開された。ヨン様人気は依然健在だ。

それは男女のいかがわしい画集であった。儒教を根幹とする民には禁忌の画集が世間を賑わしたのであるー『趙氏醜聞録』。舞台は、18世紀の李氏朝鮮時代。登場する人物は、実在したか否かは定かではない。しかし、画集の中に繰り広げられる男女の愛憎劇が時代を超えて現代の私たちに、ある種感動にも似た感慨を与えるのはなぜか。そこにはどのような醜聞が描かれてあったのか。

1794年、名うてのプレイボーイ、チョ・ウォン(ペ・ヨンジュン)は、官職を退いた後、狙いをつけた女性を落としては記念に春画を描いて残すのが日課となった。朝な夕なに違う女を連れ込んでは床を共にする毎日。彼が一人でいる夜は珍しいほどだ。そんな彼が新たに狙っているのは、ユン家の嫁、チョン・ヒヨン(チョン・ドヨン)である。夫亡き後9年も貞操を守り、どんな男にもなびかず奉仕活動にいそしむ賢女である。簡単に落ちる女に面白さを感じなくなったウォンは、難攻不落のヒヨンを落とすことに熱中する。

そんなウォンに、従妹のチョ氏夫人(イ・ミスク)は笑いながらあるゲームを提案する。もしもウォンがヒヨンを落とせたら、自分と一夜を共にしてもいいと。しかし、落とせなかったら、寺に入って引退することを。ウォンは提案を快諾する。俺が言い寄って落ちない女などいないのだ。大きな自信があった。もうひとつ。チョ氏夫人こそは自分の初恋であり、長年恋い焦がれてきた女性だ。その女性が自分と寝てもいいと言ってくれている。これはヒヨンの落とし甲斐があるというものだ。ウォンはますますやる気になった。

一方、チョ氏夫人は毎日が憂鬱であった。夫はまもなく16才の側室を迎える。自分との間に子がいないことを理由に、側室を迎えて嫡男を産ませようとしている。かつては夫だけを見つめていた日々があった。そんな夫はもう自分だけのものでなくなる。少しずつ存在感がなくなっていく自分はまだ30代なのである。尽くしてきた夫への憎しみと老いていく自分への虚しさ。どれもがチョ氏夫人を激しくイラつかせる。

ウォンとチョ氏夫人の危険なゲームが始まった。選ばれた貴族だけが興じる危険で楽しいゲームには、底なしの罠が仕掛けられていることに二人は気づかない。二人が摘もうとしている花には蜜があった。その蜜には毒があり、食した者はすべて虜になる。心をとられ、プライドをとられ、二度と元の自分には戻れなくなる猛毒だ。希代のプレイボーイ、チョン・ウォンがヒヨンを落とした時、彼は自分のすべてが揺さぶられ変貌していくことに動揺する。愛と憎しみの果てにある空虚な残骸。刺激的なゲームを求めた二人にはお似合いの結末が待っていた。



※この先は、ネタバレが含まれます。未だ御覧になってない方は読まないことをお勧めします。


趣味の悪い恋愛ゲームにイライラしながらも、最後は天を仰ぎ泣いている自分がとてつもなくアホで愛しいと思う。

この映画、17年前に観た時はその良さがぜんぜん分からなかったが、今はまったくちがう印象だ。

この映画、まっことすばらしい! わたしも成長したのか? こんなエロエロ映画にどうして? きっとなにかがあるんですねぇこの映画には。

一見、まったく破廉恥な男女の乱れ絵図満載映画。時代劇だからって何やってもいいのか?! なにがゲームやねん?! ふふんと笑ってしまった。とにかく登場する人間どもが吐きたくなるほどすべて愚かしいのだ。愚かしくて悲しくて、やりきれない連中ばかりが出てくる。人生という有限な時間の中で、女と寝ること、男と寝ることしか考えていない奴らなのだ。腐ってる。おまえら何をやっとんじゃ!? 怒鳴りたくなるような汚れ切った強者(つわもの)ばかりなのだが、終わってみるとほろりと心打たれる何かがある。

涙がはらはらと落ちる自分を抑えられなかった。不覚だ。

左から、チョン・ドヨン、ペ・ヨンジュン、イ・ミスク

わたしは映画はハッピーエンドでないとイヤなタイプだ。現実の毎日がすこぶる美しくないからである。この世が悲しいから、映画の中だけでもハッピーであってほしい。希望が垣間見えるような映画をいつも渇望している。

そんな私がこの映画に感動して泣けたというのはよどほのことだ。だって悲恋の先に「死」という悲劇的な終わりがあるのに、どうしようもなくこの映画に感動せざるを得ないのだ。それは胸をかきむしられる切なさ。デジタルリマスター版を含めて、何度も見たいと思ってしまう。これは異常現象だ。一度御覧になった方も是非また一度見てもらいたい。この映画のもつ総合力に必ず圧倒させられる。


では、総合的になにがすごいのかと言うと、当然、脚本力、映像美、キャスティングの三つだろう。


韓国式危険な関係! イ・ジェヨン監督の目のつけどころ。脚本力のすばらしさ。

脚本は、原作「危険な関係」(コデルロス・ド・ラクロ著)を李氏朝鮮時代を舞台に脚色したものであり、これは過去アメリカ、ヨーロッパ、中国、韓国と世界中で映画化、劇曲化、ミュージカル化されてきた(映画化が8回、舞台化5回、テレビドラマ化2回、漫画化1回等)。つまり、何度も姿を変えては大衆の前に現れ、人々を感動させてきた永久不滅のドラマチック性がそこにはある。原作を読んでいないので比較ができなくて残念だが、書評を読んで想像するに、本作「スキャンダル」も原作に負けず劣らず悪趣味であったにちがいない。

舞台が、儒教が強く支配する李氏朝鮮時代であるというところがこれまた面白い
相手が儒教だろうが何だろうが、人間は教えの網の目をかいくぐりエロス満載の悪戯に走るものだ。下半身の本能の赴くまま愛を語り、忍び、朝が来るまで抱き合う。表向きは厳格な儒教的統制社会なのに、内実は、退廃した男と女が危険な刺激を求めてモンスターのようにまさぐり合うなんて。

「韓国式危険な関係」はそれまでどの国も表現できなかった儒教社会への挑戦に満ちていた。儒教を逆手にとって映画化しない手はないのだ。韓国ではこの映画が最初の「危険な関係」デビューであるが、ここに目をつけ脚色したイ・ジェヨン監督ってつくづくすごい。

オープニングとエンディングも一興だ。映画の初めで「趙氏醜聞録」という画集が開かれ、まるで物語を読み聞かすかのように本編が始まっていく。最後にはこれが闇社会で書物として出版されていき、この時になって、観客は、あ、あの画集だ!と声を上げる。私たちはまるで、泡沫(うたかた)の絵物語の余韻に包まれて茫然とするのだ。


チマ・チョゴリ、韓服、両班の屋敷、屏風や書道。時代劇ならではの映像美の美しさ。

確かに、パク・チャヌク映画ほどのカメラワークや美にこだわったカット構成があるわけではなかった。だがこの映画はようく考えて作られた作品だと思った。設定を時代劇にしたのは、映像美を狙ったが故なのではないかと思うほど、チマ・チョゴリや韓服、両班の屋敷、屏風や書道が醸し出すひきしまった美しさが独特の映像美を作り上げている。

確かに、露骨なベッドシーンが多いが、それでも下着一つをとっても現代のものとは違う興がある。真白い綿を主体にしたシンプルな美しさだ。ボタンではなく、ヒモをほどく音一つが見事に風景の一片になる。花びらで染められた爪の色、顔の数倍ある髪の毛を束ねた女性、豪華絢爛な中に映し出される女性の美への欲望と、それを眺める男性のいじわるな視線。

どれもが怪しいのに、独特で美しい世界観を作り上げている。


時代劇ってだけでめちゃくちゃ特だなぁと感じられた映画No.1だ。大体において時代劇は、小物一つとっても時代考証するだけで楽しいが、その映像美は現代劇に比べてぜったいに負けることはない。韓国映画は、時代劇がいまだにエンターテイメントの舞台となり得ているが、日本映画の場合は廃れていくばかりだ。めちゃくちゃ残念でならない。こういうところは日本は韓国を見習ってほしい。


ペ・ヨンジュン、イ・ミスク、チョン・ドヨン! キャスティングのすばらしさ!実力の高さ。

1.ヨン様の挑戦力、安住しない孤高の精神。男根まみれのクズ男を演じても、あなたはやっぱりステキだった。

チョ・ウォン(ペ・ヨンジュン)

2003年、「冬のソナタ」が日本中のおば様方のハートをくぎ付けにしたあの頃、愛しのヨン様は今度はどんな作品に出るのかとファンたちは固唾を飲んで待っていたに違いない。しかし、なんとヨン様が選んだのはこの映画「スキャンダル」の、希代の好色男チョ・ウォン役であり、韓国・日本双方のファンも業界人も腰を抜かすほどびっくりしたはずだ。

うそ!? ヨン様がこんなエロスどろどろの映画に出るなんて!? しかも演じる役は、27年もの貞操を守った未亡人をだまくらかして処女を奪うという、心も体も腐りきったエロじじーの役。え? あたしは夢を見ているの? わたしも映画の冒頭、いきなりヨン様が側仕えの女のおっぱいをもみしだくシーンから始まるところを見せられた時、頭が真っ白になったことを覚えている。思わず、

ぐわー! ヨン様、あなたって・・・最高ーーーーー!
と叫んでしまった・・・。

貴公子、ジェントルマン、星の王子様、あたしも抱いて! とすずめの大群のようにうるさいチュンサンシンドロームに侵された女どもの期待を完膚なきまでに裏切り、劇場とは言え、ふんどし一丁のエロエロ河童の姿で、女を手籠めにしてはうれしそーに春画を描く。こんな糞ヨン様をだれが想像できただろうか? そんな冒険をせずとも、どこまでも女性の味方、少年のように純粋でステキなチュンサンのイメージを貫いてお金儲けができたはずだ。それなのに、ヨン様は、順風満帆な青年イメージをかなぐり捨て、まったく180度反対の腐れ男の姿を演じきってくれた。

ヨン様のすごいところは、そんな姿を見せても、ファンがきちんとついてきたところだ。「スキャンダル」は韓国公開1週間で100万人を記録し、当時数々の前人未踏の記録を打ち立てた。日本でも、DVD総合オリコンウィークリーチャートで2位を記録。まさに挑戦者ヨン様である。いつまでもぬくぬく温かいところに安住しない姿勢に感服した。

彼はその後、ほんの数本の映画とドラマに出ただけで、あとはビジネスに専心してエンターテイメントの表舞台から去ってしまった感がある(結婚してパパにもなったし)。こういうところも、巨大な需要があるにも拘わらずいつまでも執着しない姿に、つくづく浮世離れした非凡な一面を見てしまう。ヨン様にこんなことを感じるのは私だけではないだろう。ほんとうに変わった人というか、ステキというか。わたしたち凡人とは何かが決定的に違うのだ。特にファンでもなかった私でさえこう思ってしまうのだから。あう。

・・

2.妖々しい毒婦チョ氏夫人。イ・ミスクの上から目線に悶える!

チョ氏夫人(イ・ミスク)

次に、半端ないと言えばこの人だろう。往年のスーパースター、イ・ミスクさん。ヨン様より12才年上の1960年生まれ。「スキャンダル」公開当時は、43才だった。この圧倒的な存在感、この完璧なまでに役柄を追及しきった姿、怪しさと美しさどれをとってもイ・ミスクさんほど見入ってしまうスターはいない。わたしはこの映画の中で終始メロメロだった。「鯨とり-コレサニャン」で魅せた純朴なチュンジャ役も忘れられないが、このチョ氏夫人役はそれ以上に心をわしづかみにされた。

男を手玉にとる女。決して男にリードを許さず、男を足元に見下してうっすら微笑む。一度は愛した男さえもゲームのために利用する女。そんな究極の悪女チョ氏夫人の姿にすべての脈拍を奪われてしまう。

この愛するイ・ミスクさんが登場するシーンでわたしが一番心を奪われたのは、約束通り、ヒヨンに別れを告げて彼女の心を粉々にしたチョ・ウォンに約束通り自分を捧げようとした時、チョ・ウォンから想像していなかった別れを切り出される場面である。
きっと今日の日をともに喜んでくれるとばかり思っていたチョ氏夫人のショック、悲しみはいかばかりだったか。

しかし、それを臆面にも出さず、去っていく男の後ろ姿を一瞥だにしないその気高さ、美しさ・・・それは、もう悶絶するほどだ芸術そのものと言っていい。

地球が滅ぶ前に、ヨン様とイ・ミスクのどちらと寝たい?と聞かれたら、わたしは躊躇なくミスク姉御(あねご)と答えただろう。


なんでもいいからいますぐ抱いてほしい。ちゅ。

チョン・ドヨンさん、あなたは確かにすばらしい役者! でももしもあの人がヒヨンを演じていたらとふと考えてしまった。

最後に、チョン・ドヨンさん。清楚なヒヨン役、とてもよく演じていた。積極的で強い女性という固定観念がいつもあるので、イメージ的にどうかなと思ったが、さすがカンヌ女優主演賞をとっただけある(「シークレット・サンシャイン」(2007))。カンヌを獲ったのは本作品の後だが、彼女が獲るのは時間の問題だったでしょう。なにを与えられても無難にこなしてしまうのがチョン・ドヨンのすごいところだ。

チョン・ドヨンさんが出ているシーンで一番大好きだったのが、もちろん最後のシーン。
凍湖に身を投げて自死する場面だ。上着を脱ぎ捨て、一歩一歩薄氷を歩いて行き、最後はざくりと氷が割れて、湖底にその身を投げ出す。静寂の中、ウォンが彼女に贈った朱色の首巻だけが残される。

氷が割れる場面はもちろんCGだと思うが、それにしてもヒヨンの最期は声を失うくらい美しく、悲しい。

冒頭、わたしはこの映画には愚かしい奴ばかりが出て来るとぼやいたが、意外だがこの賢女ヒヨンも例外ではないと思っている。それどころか、彼女こそまったく愚かしい人間だ。あんなクソ最低男ウォンの猿芝居に騙されて惚れてしまい、27年間守り抜いた貞操を捧げてしまうから滑稽だ。ウォンのろくでもない噂を知っていた彼女こそはもっと警戒するべきだっただろう。

もしも彼女がウォンになびかなければ、ゲームはチョ氏夫人の勝利。ウォンは寺に入って引退していたはずだ(どうせ、寺で尼僧とヤっていただろうが)。ヒヨンも自死することなく、みんながそれぞれハッピーに暮らせたのだ。ちゃんちゃん。

とまぁ後出しジャンケンのように言うのは卑怯なのでやめておこう。わかってはいても惚れてしまうのが恋であり、人間だ。人間は過ちばかりを起こすために生まれてきたのだ。そうして子孫が繁栄していく。ぐぎゃー! いやだいやだ。わたしが言いたいのはそこではなく、なぜこんな愚かしい奴らの物語にこれほど感動したかということを、ここでなんとか言葉にしたいのだ(これに関しては、次の段落へ飛ぶ)。


さて、最後に、こんなこと言うのもチョン・ドヨンさんに水をさすようで申し訳ないのだが、チョン・ドヨンさんよりも、もしもハン・ヒョジュさんがこのヒヨン役を演じていたら、これまたはまり役だっただろうと思ったのは私だけだろうか? というのも二人の顔がとても似ているので、ついつい比較してしまうのである。

20才で嫁ぐ前夜に夫と死に別れ、つまり結婚式も挙げずに未亡人になってしまった女性がその後7年も貞操を守り通して生きるというのは簡単な生き方ではない。よって、ヒヨンという女性は芯の強い女性である。その強い女性を、清楚で清廉なハン・ヒョジュさんが演じたら、さぞかし艶っぽい絵柄になっただろうと想像してしまった。

あ、ヌードやセックスシーンがNGな彼女はきっとこういう映画には目もくれないのでしょうけどね。それもハン・ヒョジュらしくていい。彼女こそは韓国の吉永小百合よ! そんな腐れ映画、出なくてもいいのだ!

・・

つまりは、この映画、何が私をこれほどまでに悶えさせたのか?

湖底に浮かぶウォンがヒヨンに贈った首巻き。
愚かな人間の所業に美しさを感じて感動するのはなぜだろう。

それはつまり、感動という心の叫びに従うと、こうなのだ。

わたしが感動したのは、愛する人を失ったことに気づいた時の人間の生々しい姿 である。


ウォンは断末魔の際、自分が信じられなくなる時が一番怖い。それでも(ヒヨンに)会いたいのだと独り言(ご)ちる。女を選んで動かすのは自分であり、遊びの対象でしかなかったはずなのに、ヒヨンと一夜を共にして以来、ままならない心に振り回されはじめている自分がいた。死んでもいいから一目ヒヨンに会いたいと、冷静さを失って取り乱すウォン。

一方、ウォンが死んだと知り、大声で泣き崩れるチョ氏夫人。血だらけのままヒヨンに会いに行こうとしたウォンの姿は、自分が知っていたかつてのウォンではない。ヒヨンを愛し、ヒヨンを救おうとした亡きウォンの姿は勝ち誇ったようにチョ氏夫人を苦しめる。なぜあのようなゲームをしてしまったのか。遊び心で始めた小さなゲームがウォンの心を奪い、果ては命までをも奪ってしまった。予想だにしなかった結末にほんとうに自分が愛していたのはウォン一人だったと気づく。

同じく、ウォンが死んだと知り、彼を忘れようとしていたヒヨンはウォンの自分への嘘偽りのない愛を知る。真実の愛を貫く方法はこれ以外に知らないとでも主張するように、彼女は一人冬の湖水に身を投げる。


れぞれがそれぞれに、愛する人を知り、それに対する自分の態度を決める。

その潔さは悲劇の中にあっても美しく、ああ、こういう愛し方って悲しいけどありだよね... と深く感動してしまうのである。自分の最期の時を知った人間のぶれない美しさと表したら分かりやすいのか。愛する気持ちが人間を強くする。そんなベタな言葉で片づけてしまっていいのか。いや、そもそもそれほど深く人を愛することってできるのだろうか? わたしはこの人生一度も人を深く愛したことがなく生きてきたので、だからこそこの映画に人一倍感動してしまったようである。要はうらやましかった。

その後、チョ氏夫人の数々の悪事は暴かれ、彼女も最後は国を追われる(多分清国へ逃亡したのではなかろうかと思うのだが)。3人はそれぞれに悲劇をもってその人生を終えるのだが、これをただの愚かしい人間どものちゃんちゃんで片づけられない普遍性がこの映画には確かにある。まさに愚かな人間どもの「愛する」を追求したアートフルな世界があふれている! 


ああ、韓国映画に悶えてならぬ。

スキャンダルから学ぼう講座。ウォン(ヨン様)のような男にひっかかって貞操を奪われないために。Let's ウォンの犯した大罪を振り返ろう~!

彼こそ好色一代男! チョ・ウォンの右に並ぶ者はいない。

以下、時系列に見ていく。

大罪その①

冒頭から、いきなり側使いの女の胸をもみしだきながら登場して、観客を驚かした罪。

大罪その②
チョ氏夫人と危険なゲームに参加し、貞淑な未亡人ヒヨンの処女を奪ってやろうと計画した罪。

大罪その③
ヒヨンが冷たくすればするほど喜んだ変態男の罪。難攻不落の女を落として貞操をいただくことが生きがいという変態趣味。人生は短く有限なんだ。おまえ、することないんか?!

大罪その④
ヒヨンにアプローチを続ける一方で、たくさんの女をはべらし、朝な昼なにセックス三昧しつづけた罪。もっと精子を大切にせーよ。

大罪その⑤
ソオクの母がヒヨンにあんな男とつき合うことなかれと助言したことに腹を立て、復讐に娘ソオクを手籠(てご)めにした罪。

大罪その⑥
ソオクを性奴隷のように毎晩責めたてた罪。これはチョ氏夫人が「復讐の度が過ぎるのでは?」とウォンに注意したことからも一目瞭然。あんたやりすぎ!

大罪その⑦
なんと、過去ソオクの母とも寝てこれを捨てていた罪。加えて、おまえのお母さんと不倫をして捨てた男は自分だとソオクにばらした罪。この男、希代の恥知らずよ!

大罪その⑧
ヒヨンの27年の貞操を奪い、彼女を捨てた罪。

大罪その⑨
見識が高く、学問に精通していながら、なにひとつ世の中のためになることをせず、精子を巻き散らすだけ巻き散らして死んでいった罪。

大罪その⑩
結局、ソオクを孕(はらま)せ、他人の側室に子孫を残した罪。もしかしてソオクさえもウォンの娘だったのでは? だとすれば自分の娘を犯した罪にもなる。おまえ、ええ加減にせーよ!

大罪その⑪
ヒヨンを深く愛してしまった罪。そのせいで彼は悲劇を避けられなかった。


ああ。バカだねこの男。
書いてて泣けてきた・・・

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毒女 悦子

韓国映画をみてハッと胸をわしづかみにされたことありませんか?
悲しい時つらい時に韓国映画を見て、心がほんのすこし救われたことありませんか? しあわせを感じたことありませんか?

わたしはたくさんあります。

韓国映画のもつ奥深さになぐさめられたり、息もできない胸苦しさを覚えたり、一日中その余韻に浸ったり、夢の中まで追いかけられたり。 韓国映画に流れるあたたかいもの、残忍なもの、切ない永遠のものに、 ずっとずっと恋をしています。

同じ気持ちの人たちとつながっていたい。

アラフィフ。老後が心配。
でも死ぬまで韓国映画を抱きしめているぞ。

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