ドラマ 青春

全然感動しない!ある意味ホラー。「風の丘をこえて 西便制」(1993)

2019-10-24

パンソリの唄声は確かにすばらしい。でも気難しい義父と娘のマゾ度が過剰でどん引く。

作品情報

●評価 2.5★★☆
●制作 1993年
●上映時間113分
●原題 서편제(西便制)
●原作「南道の人」「ソリ(唄)の光」 李清俊(イ・チョンジュン)著
●監督 イム・グォンテク
●脚本 キム・ミョンゴン
●出演
キム・ミョンゴン、キム・ギュチョル、オ・ジョンヘ、アン・ビョンギョン他


あらすじ

物語は、トンホキム・ギュチョル)が行方知れずの姉ソンファオ・ジョンヘ)を探す場面から始まる。二人は幼くして孤児だった。成長して家庭をもったトンホは姉を心配して探しはじめる。

パンソリの旅芸人ユボンキム・ミョンゴン)が孤児の二人を引き取り育てた。当時、パンソリは流行歌や洋楽におされ衰退しつつあったが、ユボンは必ずパンソリの時代が再来すると信じ、二人が幼い頃からパンソリを厳しく教え込んでいく。

姉のソンファはパンソリの歌を、弟のトンホは合いの手を習う。パンソリを上達することは生活そのものだった。学校など通えない。すこしでも練習を怠けるとユボンの叱責が飛ぶ。山に歌い、波に調子をとり、陽が沈んでも姉弟は練習を重ねて成長していく。

ユボンは、表向きは流浪生活を愉快に語ってはいるが、心の中では忸怩(じくじ)たるものを感じていた。彼がパンソリの旅芸人に落ちたのは、5年前、師匠の妾に手を出し破門されたからである。かつてパンソリの名手であったプライドに執着し、都で成功した元同僚たちの活躍を素直に喜べないユボン。気位ばかり高くて、周りと衝突を繰り返す彼は次第に孤立を深めていく。二人の子供たちだけがユボンのそばでそれを見ていた。

次第に酒におぼれはじめるユボン。パンソリで稼いだ金がユボンの酒代に消えていった。ある日、トンホはこんな生活に耐えられないと家を飛び出す。弟がいなくなったショックから、ソンファは歌が唄えなくなってしまう。ユボンはソンファを介抱しながら決心する。ソンファを本物のパンソリの歌い手にするために、ソンファの視力を奪うことを。

なにもしらずにユボンが煎じた薬を飲むソンファ。次第にソンファの視力は弱くなり、失明する。光を失ったソンファ。果たしてソンファはユボンが願うように恨を越えるパンソリの名手になれるのか。光を失った先にある芸の極みをつかむことができるのか。



※以下はネタバレが含まれます。未だ作品をご覧になっていない方は読まないことをお勧めします。


凡人には理解不能な「芸術作品」として見ることで納得できる作品。そこそこに見る。

喉が唄いながら泣き叫ぶ。
しなやかに放たれる吐息の間につんざく声が響く。そんな獣が飛び踊るような声音がパンソリだ。言葉がわからなくても、声音と表情で楽しめる。この映画は、各所で見事なパンソリの唄声が流れてくる。聴いたことがない者でも鍛え抜かれた歌声に圧倒される。

パンソリに人生をかけた旅芸人の映画だ。
ユボンと子供二人は血のつながりはないが、パンソリが血の代わりに親子の絆を結ぶ。三人は唄うことで淋しさを分かち合い、運命を恨みながらもこれを越えて生きていこうとする。

なんて厳しくむずかしい映画なんだろう。
現代の目で見ると、あまりにも違和感があった。しかし、芸術作品として見れば納得できるような気がした。そうだ。これは凡人には理解不能な作品なのだ。

1993年と古い作品ゆえ画質は良くないが、広がる自然の厳しさが声を奪うほどの美しさを呼ぶ。吹きすさぶ雪景色や、鯨のような大きな山間をてくてくと歩く虫のような人間の姿。非力で無抵抗な人間が頭をたれて歩んでいく姿は、神様に誘(いざな)われる十二使徒のように孤高で美しい。

圧倒される自然美が広がる中、そこにあるのは生きることの厳しさであり、現実である。食べていくのにやっとの人がひしめき合う中、どうやって人は人の物を横取りせずに生きていけるのか。生きていくことの最大のテーマとはまさにこれである。ユンボ、ソンファ、トンホの3人がパンソリという唄の芸を武器に、世間の冷たい風の中、力強く生きていこうとする姿だ。

幼い頃からパンソリを体と心に叩きこまれたソンファとトンホ。一つの町で唄い終わると、また次の町を目指す。四季が移り変わるように町を移り歩き、流浪に流浪を重ねて生きる旅芸人の人生。つらいことが多ければ多いほど、生活が厳しければ厳しいほど恨は積み重ねられ、恨み節は、高嶺の先の極みをつかもうとする。

ユンボは、いつかパンソリが再び復活することを信じ、自分を鼓舞しながら生きている。二人の子供をパンソリ芸人に育て上げ、生きる術を教え込んだ。なるほど。父親としては出来た父親にも見える。

わたしはこの映画を見ている間、正直言って気持ちが鬱屈して仕方がなかった。

この映画にはたしかに芸術性がある。
パンソリという伝統音楽、姉弟の絆よりも大切なパンソリ、視力を奪った父に逆らわない娘の神忍従。そう。どれもこれもが教科書に書かれたかのように気高く美しすぎる。それはまるで北鮮の検定をくぐりぬけてきたプロパガンダ映画そのもの。理解を超えた不可思議さのオンパレードなのである。

悲しい哉(かな)。韓国版おしん、ソンファに人間味を感じない。

父に頬を殴られうつむくソンファ(姉)。見つめるトンヘ(弟)

わたしは義父ユンボに反発して家を飛び出した弟トンホに人間味を覚える一方、ソンファにはまったくの人間味を感じなかった。

ある酒席で、ソンファは飲んだことのないお酒を呑めと客に言われて嫌々飲むが、それをユンボは後で「お前という奴は!」と殴りつける。お客に失礼がないように、義父が責められないようにと一生懸命相手をした娘に暴行する父と、それにだまって耐える娘。

次に、恨(ハン)が積み重なるように、そして積み重なった恨を乗り越えられるようにと、義父に薬で盲目にされたことに気づきながらも、一言も義父を責めないソンファ。もしもこの二人の関係をきっぱり美しいと定義づけるなら、あなたはもう立派なサドマゾの世界の人だ。

最後、実の弟が探し当てたのに、姉は「沈情歌」を一曲唄い、弟は合いの手を入れる。言葉は要らない。これだけでお互いの心を理解して、再び別れていくシーン。宿の主人に、「これでいいのです。また旅に出ます」と言って当てもなく旅立つソンファ。おい、なんで行くの?

この三つのシーンは、感動的であると同時に、非常に理解不能なシーンばかりで、わたしはソンファの韓国版おしんに不気味すら感じた。これは監督が追究した芸術の姿であり、究極の美意識の具象化なのだと無理やり頭の中で理解せずば、レビューなど書こうとも思えないほどだった。それほどショックだった。

なるほど。ユボンが「なぜおまえには恨が育たないのだ?」と言った意味がようく分かる。ソンファは生来優しすぎて、人を恨むことをしないのだ。協調性がないがゆえに周囲と歩調を合わせられないユボンとは対照的なソンファ。生活力がなく、酒浸りの義父を責めたことなど一度もない。

わたしはソンファが一度でもいいから、

「おんどりゃー!このくそじじー!」

と叫んでくれたらどれだけ胸がすっきりしただろうと思った。人間ソンファを前面に出して泣き叫び、地団駄踏み、「あたしの視力を返せ! 学校に通わせろ!」と吠えて唄ってくれたら、どれだけこの映画を好きになれただろうと思った

(ええ加減にせーよ自分)。

義父ユボンに髪をとかれるソンファ

わたしはユボンがソンファの目を失明させたのは、彼女が本当の娘ではなかったから出来たのではないかとも勘ぐっている。実の娘ならそんなひどいことが出来ただろうか? 男性でも盲人は生きていくのが困難な世の中で、女性を失明させるということは、パンソリ商売どころか、誘拐されて遊郭に売られるのが関の山だ。そんなこと考えないでも分かる。

下世話な話になるが、盲人となったソンファはお風呂はどうしたのだろう? 一人では入れない。タライに水を汲んで体をふくのも一人ではできないだろう。義父が手伝うのか? そんなことを考えると、なんと残酷なことを一人の女性にしたのだろうと。大変なことをしたユボンに呆れる。大罪だ! これを芸術のためと言われても、まったく理解できない。

それやこれやを思うと、この映画、なんてすばらしいのだ!と手を叩いて賛美する気持ちになれなかった。

義父ユボンが亡くなって以後、ソンファのやつれた頼りなげな姿が一層哀れでならなかった。だれがソンファをこれだけ惨めな姿にしたのだ? ユボンが目指した恨を積ませて恨を乗り越えるという試みは失敗だったのではないか。


小さな子供に誘導されながら町を出ていくその後ろ姿を見ても、その後、ソンファがパンソリ界で名を馳せただの、幸せに暮らしただのとはどうしても想像できない。世間には悪人が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している。その中に放り出された盲目の女性が何が出来よう。世界残酷物語のはじまりだ。

希望という共感を感じさせない映画だった。
芸術性だけを目指すと、これだけ自己陶酔を極めた作品になる

評価は、観る人によって様々でいいと思う。

この映画は巷の評価がとても高く、現実に、1993年の青龍映画賞では、大賞、作品賞他と受賞している。民族芸能であるパンソリを映画で表現したところが素晴らしいこと、人間の生と死をまっすぐ見つめていること、安易なハッピーエンドに走らなかったこと。芸術作品としてはどの資格にも漏れない、すばらしい出来だったと思う。

まさに、展覧会に飾っているガラスの向こうの、国宝級の陶品だ。
「パンソリとそれを伝承する人々の美学」

この映画はそれを楽しめばいい。さよーなら。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

毒女 悦子

韓国映画をみてハッと胸をわしづかみにされたことありませんか?
悲しい時つらい時に韓国映画を見て、心がほんのすこし救われたことありませんか? しあわせを感じたことありませんか?

わたしはたくさんあります。

韓国映画のもつ奥深さになぐさめられたり、息もできない胸苦しさを覚えたり、一日中その余韻に浸ったり、夢の中まで追いかけられたり。 韓国映画に流れるあたたかいもの、残忍なもの、切ない永遠のものに、 ずっとずっと恋をしています。

同じ気持ちの人たちとつながっていたい。

アラフィフ。老後が心配。
でも死ぬまで韓国映画を抱きしめているぞ。

-ドラマ, 青春
-, ,

Copyright© 韓国映画に悶える女のブログ! , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.