スリルとサスペンス

ソン・ガンホがドゥナの耳をべろべろする。「復讐者に憐れみを」(2002) パク・チャヌク砲炸裂! 復讐シリーズ①

2019-12-05

復讐無限ループに終わりはない! 一体何が正義なのか分からなくなるワールドへようこそ。

作品情報

  • 評価 3.5★★★☆
  • 制作 2002年
  • 上映時間121分
  • 原題 「복수는 나의 것」(復讐は我のもの)
  • 英語題 Sympathy for Mr.Vengeance
  • 監督 パク・チャヌク
  • 出演
    リュ、聴覚障害者(シン・ハギュン)
    パク・トンジン、イルシン電気社長(ソン・ガンホ)
    ヨンミ、リュの恋人、革命的無政府主義者同盟所属(ペ・ドゥナ)
    リュの姉(イム・ジウン)
    ユソン、トンジンの娘(ハン・ボベ)
    闇臓器売買業社長(イ・ユンミ)
    ペン従業員、トンジンに解雇された従業員(キ・ジュボン)
    脳性麻痺青年(リュ・スンボム)
    ジャージャー麺配達人(リュ・スンワン)
    4人の北朝鮮工作員(①キム・イクテ、②オ・グァンノク、③イ・ゲヨン、④シン・ジョングン)
    チ刑事(チ・デハン)
    ホ刑事(ホ・ジョンス)

あらすじ

聴覚障害者リュ(シン・ハギュン)は幼い頃から姉と二人で生きてきた。姉(イム・ジウン)は病気で会社を辞め、自宅療養中だ。病気になり腎臓移植が必要だが、提供者がいないことと、仮に提供者があっても手術費用がなかった。鉄工所で働くリュは必死に貯めた1000万ウォンと自分の腎臓を売る条件で闇臓器売買業者と取引をする。

しかし、闇業者は1000万ウォンと腎臓をリュから奪ったまま行方をくらましてしまう。その後、奇跡的に姉に提供者が見つかったと病院から連絡が入るが、無一文になってしまったリュはどうしていいか分からず途方に暮れる。

激しく落ち込むリュを見かねた恋人ヨンミ(ペ・ドゥナ)は、リュに金持ちの子供の誘拐を提案する。最初は拒否していたリュだったが、姉の手術費用を工面するために電気会社社長トンジン(ソン・ガンホ)の娘ユソンを誘拐する。身代金さえ手に入れば、無事に返してあげればいいと安易な気持ちで実行したが、姉は弟の犯罪を知り、ショックのあまり自殺してしまう。

最愛の姉を失い、慟哭するリュ。しかし、姉の遺体を故郷の川辺に埋めていた時、不幸にもユソンまで水難事故で失ってしまう。リュはどこかで歯車が狂い始めるのを感じる。ユソンを川から助けようともせず、その場を逃げるように去った。

警察から連絡が入り、愛する娘の水死体に泣き崩れるトンジン。トンジンは警察に頼らず、自分の手で娘を殺した犯人を見つけ出し、復讐してやると心に誓う。

一方、姉を失った上に、ユソンまで死なせてしまったリュは、こんなことになったのは闇臓器取引業者のせいだと憎しみを募らす。やつらに復讐をしてやると、ヨンミと二人で闇業者を血眼になって探し始める。

復讐に心をたぎらすトンジンとリュ&ヨンミ。
二組の復讐劇は一体どのような決着をもたらずのか。パク・チャヌクが贈る復讐シリーズ第1弾。普通の、善良な人間が鬼へと変貌する瞬間には何が宿るのか。復讐劇に伴う残酷な人間の闇がそこに横たわっていた。




この先はネタバレが含まれます。まだご覧になってない方は読まないことをお勧めします。


20年前のソン・ガンホ様に悶えまくる!

パク・チャヌク復讐シリーズ第1弾。ずいぶん昔に見たものだが、いやはやなんとも懐かしい。今から17年も昔だ(現在2019年)。
ソン・ガンホペ・ドゥナシン・ハギュンも実に若い。この頃のソン・ガンホは、今のチュ・ジフン(「アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜」参照)にそっくりだ。チュ・ジフンが年をとるとソン・ガンホみたく渋くなるのかなと、ほくそ笑みながら観ていた。

左から、ソン・ガンホ、ペ・ドゥナ、シン・ハギュン

このようにひと昔前の作品を観る作業というのはじつに楽しい。

昨今の映画界のスーパースターとなってしまった重鎮の青い頃の作品を観れるのだから。こうして一作品ずつ積み上げていったんだなぁ、なんてキラキラした真っすぐな目をしたんだろうとか、若さゆえの必死で突っ走って演技する姿に胸を打たれたりする。

1999年、「シュリ」の爆発的ヒットで日本国内で韓国映画の存在がクローズアップされてから早20年が経つが、韓国映画の人気はいささかも衰えず、日本人の韓国映画に注ぐ眼差しには依然熱いものがある。

本作出演のソン・ガンホも韓流ブームの第一期を支えた立役者であるが、韓国映画の俳優陣の中で一番ソン・ガンホが好きだった私は、最近「弁護人」(2013)を観賞し、もうソン・ガンホが20代を演じるのは無理があることをしみじみと感じたばっかりだった。そして、本作「復讐者に憐れみを」(2009)を観賞して、なおさらもう二度と戻らぬ時の流れに涙してしまった。なんて美しい時代をいっしょに経年して来れたんだろう。あう。この歳月が愛しく感じてしまった。


私のガンホが、かつての三浦友和のように若く美しかったことに、当たり前だが衝撃を受けた・・・。時の流れは残酷だが、それ以上にこの偉大なスーパースターが出演したこれまでの作品を、もう一度尊敬の意を込めて見直さなければならないと深く感じた。

・ 

興行的には大失敗! だが勇敢な映画! 観客の賛否は分かれる。

DVD付録のインタビューの中でもソン・ガンホが言っているが、この作品、興行的には大失敗だったそうだ。最初台本を読んだ時、映画にはないあまりのリアルに怖くなり、彼は3回も出演を拒否。4回目にしてようやく出演を受けたという。

そもそもこの内容では制作が出来ない(出資が集まらない)と思っていたそうだが、鬼才パク・チャヌク監督という看板があったせいか出資は集まった。あとはソン・ガンホが承諾すればGO!というふうに、外堀は見事に埋められていったという。ちなみに、シン・ハギュンはこの映画のオファーが来るとすぐに快諾し、型破りな映画に挑戦できるということで意気揚々としていたという。

慎重なソン・ガンホに対してチャレンジャーのシン・ハギュン。映画の裏側を知ると実に楽しい小話があるものだ。


前半はシン・ハギュン主役、後編はソン・ガンホ主役。この映画は二人の主役がいる。二人の主役がそれぞれに憎む気持ちを捨てることが出来ず、復讐に走り、悲劇に落ちていくという展開だ。それぞれに同情できる背景があり、観客はどちらの味方をするべきか悶々としてしまう。

「路頭に迷う映画」

わたしがこの映画を名付けるとしたらこれだろう。
どの人間も良い人間なのに、最悪に悪い。どの人間も弱いのに、最高に強くなろうとする。どの人間も未来があるはずなのに、今しか見ようとしない。そんな殺伐な人間類型がそろった映画だ。観客の賛否が分かれるのも無理はない。

すぐに復讐に走る人間の「短絡性」。パク・チャヌク監督が見せたかったものはこれだ!

この映画を観て大きく感じたことがある。それは、どんな人間の中にも悪魔がいるということだ。そして、それは短絡性から来る。


この世は、「あの人がまさか」で満ちている。人は「まさか」という恐ろしい自分と一緒に生きていて、それがふとした契機によって爆発的に現れることがある。獣のような己だ。

どこにでもいる普通の人であったリュ(シン・ハギュン)トンジン(ソン・ガンホ)が愛する人の死を契機に、悪魔のような仕業を次々にやってのける姿に声を失った観客は多いだろう。

①まずはリュである。

働き者で優しかったリュが変貌したのは、最愛の姉の自死が原因である。手術代を工面するために誘拐を犯したことを苦にした姉が自殺し、リュは希望を打ち砕かれる。ヨンミ(ペ・ドゥナ)に提案された誘拐を拒否する良識をもっていながら、最後には「いい誘拐」(人質を無傷のまま返す)ならばと自分に都合のいいように解釈し、トンジンの娘を誘拐する。


もしもリュが本当に良い人なら、姉が自死した時、目が覚めたはずであろう。こんなことをしていてはいけないとユソンをトンジンの元に返したはずだ。だが運命は残酷だ。姉の死に大きなショックを受け、故郷の川辺で姉を弔っている内にユソンが水死してしまう。

己を振り返ることさえできない短い時間の中で、不幸がさらに不幸を呼び、後戻りすることが出来なくなった悲劇が、確かにそこにはある。しかし、水難しているユソンを助けに行こうともせず、ただぼうっと立ち尽くしていたリュの姿はどうなのか。

小児性麻痺の青年(リュ・スンボム)が危険を顧みず(彼はここの川の深さを熟知していたのだろう)、ユソンを助けに行った態度とは対照的である。この小児性麻痺青年の登場は唐突に見えるが、五体満足のリュと彼と比較することはパク・チャヌク監督がまさに意図したことであろう。非常に印象的な場面である。


さらにリュはユソンの死体をそのままにして帰宅する。何事もなかったかのように日常生活を送り、ヨンミとセックスを楽しむ。そんな彼の関心は、ユソンを死なせた後悔よりも、闇臓器取引屋に恨みを晴らすことだった。姉が死んだのは、闇臓器取引業者が自分をだましたからだと思い込んでいるからだ。


リュの暴走はさらに続く。ヨンミがおとりとなって闇業者に近づき、リュはバットで3人を撲殺する。しかも3人全員の体から腎臓を切り取るというおまけつきだ。切り取った腎臓は家に持ち帰り、包丁で切ったような跡がある(もしかして食べたのか?)。姉思いの優しい普通の人間が、ここまで無責任で残忍な人間に変わる演出をしたこの映画に驚く。

一方、トンジン(ソン・ガンホ)も同じである。

娘を殺された瞬間から、少しずつ普通のトンジンが壊れていき、悪魔のトンジンが現れる。犯人に復讐をするため会社をたたみ、家を売り、刑事を買収して仇討ちの準備に入る。

まず、ヨンミの家を割り出し、彼女を電気ショックにかけ、リュの居場所を聞き出そうとする。吐かないヨンミに容赦なく電流を浴びせかけ最後には死なせてしまうが、その間に来た出前持ち(リュ・スンワン)までも殺している。顔を見られたからか、ヨンミが叫んだからか。変貌が残忍すぎる。

次に、トンジンはリュの家を突き止め、帰宅を待って電気ショックで気絶させ、ユソンが水死した同じ川に連れていく。両手足を縛り、物のように川の中までひきずって、最後は両足のアキレス腱をざっくり切って出血多量死させる。プロの殺し屋かと思うぐらい計算しつくされた残忍な作業である。平凡な一市民にこんなことができるのかと、これも驚く。


トンジンとリュの二人に共通するものは、物事を短絡的にしか考えないバランスの悪さだろう。 悲しみを抱えたままの自分に耐えきれず、誰かに復讐することで心の平穏を早く取り戻そうとする短絡性である。


普通の人間ならば砂をかむような長い時間をかけて、悲しみを乗り越えていく作業を、この二人は迷うことなくすっとばす。この映画は「復讐しても何もならない」というありきたりな考えを観客に押し付けるのではなく、短絡的に復讐に走る人間を見せることで、観客に「考えてもらおう」としている。私にはそう見える。

単に誘拐する人間と被害者という構図ではなく、加害者と被害者双方に存在する横断的な普通性と残酷性を見せることで、善と悪という二律背反的な見方を否定し(物事にすぐ白黒つけるのではなく)、多層的多角的に見ることを訴えている。現実はそれほど複雑で忍耐がいるからだ。パク・チャヌク映画の面白さはここにある。


ヨンミ(ペ・ドゥナ)が言っていた小話が心に残る。
頭が二つあると思い込んでいた男の話である。いつも激しい頭痛に悩まされるから拳銃で一つの頭を撃ったつもりが、死んでしまったという話である。

現実をじっくり見て考えず、短絡的に行動に走った哀れな人間の例え話である。トンジンとリュ、そしてヨンミの三人を暗示しているように思えてならなかった。

評論家や玄人には受けたが、一般大衆には受けなかった最後のシーン。答はたぶんこれだろう。監督の単なる遊び心追求! これしかない。

わたしも正直言って、最後のシーンは不思議に思えた。拍手喝采には全く至らず、なんでこんなまぬけな終わり方をするのだろうと意外だった。しかし、何度か見直していく内に、確かにこの終わり方には面白さがある。普通にトンジンがリュに復讐をして終わるのであれば、パク・チャヌク映画としては「平凡すぎて」つまらないのだ。


刑事によると、ヨンミが所属していた「革命的無政府主義者同盟」の構成員はヨンミ一人である。だとすれば、最後に登場した北朝鮮工作員はどこから現れたのか? あの北朝鮮工作員たちはヨンミの所属していた無政府主義者同盟の組員なのか? 金正日に会いに北朝鮮まで海を泳いで渡ろうとしたヨンミのことだ。この同盟以外にも北朝鮮がらみの知り合いやグループはいたであろう。彼女が殺されたことを知った彼らがトンジンに復讐をしたのだろう。


私はトンジンが心臓にナイフをブッ刺されて死んでいく様を見た瞬間、なるほど、トンジンの復讐もやはり肯定されるものではなかったのだということが分かった。娘を殺されたトンジンが復讐を遂げた。はい。万々歳!でこの映画が終わらなかったことにホッとしたりもした。


最後のシーンは、まったく監督の思想が現れているシーンだ。
トンジンのリュへの復讐シーンで映画を締めくくるつもりでいたはずが、急きょこのシーンを加えたという。当初の予定に比べて、仰天するような終わり方になっている。その意味で監督が言う通り「勇敢な映画」であろう。

パク・チャヌク監督(2002)

わたしが感じるパク・チャヌク監督は、人間を善と悪に分けて考えることに徹底的に嫌悪感を示す人だ。善と悪は一人の人間の中に混在し、単純に決めつけることはできない。そこに焦点を当てることに彼はまったく関心を示さない。彼が興味をもつのは、自明の世界をぶっ壊すこと。否定すること。そうした波風を立てることによって、人々が自分が当たり前と思っている風景や日常に疑問をもち、「考えはじめる」ことにあるように思う。


日常的に潜む感覚に慣らされていけない。
そこにはたくさんの不条理や、納得できない様々な出来事があるのだから。
彼はこのことを映画を使って、叫んでいるように思える。


最後の、北朝鮮工作員面々のやるせない、戸惑った表情
インタビューでパク・チャヌク監督はこの最後のシーンが最高に好きだと、いたずら小僧のように笑った。わたしは彼らのやるせない顔の理由がわかったような気がした。

「なんで、俺らこんなところに駆り出されて殺しをしなきゃいけないんだ。監督、これで満足かい?」

それは、パク・チャヌク監督にたいする恨みがましい、声にならない声なのである。一方、このシーンに、してやったりとたまらない快感にほくそ笑んでいるのは、パク・チャヌク監督である。


ウィットに富んだこのアイロニー、天才だけが笑える最後なのである。後世に残る作品となった。

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毒女 悦子

韓国映画をみてハッと胸をわしづかみにされたことありませんか?
悲しい時つらい時に韓国映画を見て、心がほんのすこし救われたことありませんか? しあわせを感じたことありませんか?

わたしはたくさんあります。

韓国映画のもつ奥深さになぐさめられたり、息もできない胸苦しさを覚えたり、一日中その余韻に浸ったり、夢の中まで追いかけられたり。 韓国映画に流れるあたたかいもの、残忍なもの、切ない永遠のものに、 ずっとずっと恋をしています。

同じ気持ちの人たちとつながっていたい。

アラフィフ。老後が心配。
でも死ぬまで韓国映画を抱きしめているぞ。

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