あなたがもしも野良猫なら、わたしは迷わず拾って守ってあげたいと思う

作品情報
2001年 第22回 青龍映画賞 新人女優賞 ペ・ドゥナ
●評価 4.5★★★★☆
●制作 2001年
●上映時間 112分
●原題 고양이를 부탁해(子猫をお願い)
●監督 チョン・ジェウン
●脚本 チョン・ジェウン
●出演
ペ・ドゥナ、イ・ヨウォン、オク・ジヨン、イ・ウンシル、イ・ウンジュ、オ・テギョン他
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※以下はネタバレが含まれます。未だ観られていない方は読まないことをお勧めします。
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高校女子仲良し4人組。際立つ貧困 -- 孤立するジヨン
いやあ…よかった。
心にしみるすばらしい作品。
波乱もエロもグロもなく、女の子たちのそれぞれの新風景を映し出していく。
切なくて切なくて、胸がくるしくなった。

物語は、高校時代の仲良し5人組が高校を卒業してから20才までの話。
その間に信じていた友情がすこしずつ変化していき、高校生の仲良しグループはそれぞれの道を歩みはじめる。
ここでは、商業高校を卒業して証券会社に就職したヘジュ(イ・ヨウォン)と、成績はよかったものの両親がいないことから就職ができずに貧困から抜け出せないでいるジヨン(オク・チヨン)を対立させることで、生きていくことの切なさを描き出している。
対立する二人の仲を行き来しながらテヒ(ペ・ドゥナ)はなんとか5人の友情をとりもとうと奮闘するが、テヒはさみしさを抱えて素直になれないジヨンの気持ちにより一層寄り添うようになる。
5人の中でもジヨンの貧しさのレベルには際立つものがある。
いまにも崩れて落ちてきそうな掘っ立て小屋に高齢の祖父母といっしょに住み、屋根からは土砂がもれ落ちてきている。崩壊寸前のスラム街だ。

なによりも胸が苦しかったのは、あまりの貧困にジヨンの心がすさんでしまい、年老いた祖父母に優しい言葉をひとつもかけてあげられないことだった。
祖母がキムチをうまく噛めないのにいら立って声を上げたり、ため息ばかりついて自分の境遇を嘆くジヨン。
おのずとジヨンは暮らしぶりのいい友達とは距離を置き、すこしでも自分がみじめにならないように心に戸を立てるようになる。

わたしはジヨンの気持ちが切ないほどわかり、しじゅう胸が苦しくて仕方がなかった。
わたしなら年老いた祖父母に声をあらげるということはしないとは思うが、貧しさが心を不安にさせ、将来への希望を失わせるという恐ろしさは共感できる。セーフティネットにもひっからず、追いつめられた人間はこうなるのかもしれない。
高校時代、成績がすこぶる良かったにもかかわらず、両親が死んでしまった子は事務職にさえつくことができない韓国の社会風景が描かれていたが、この時代は本当にそんなにひどいかったのか。生きていく隙間が狭すぎて驚愕する。
祖父母はかなり年をとっていたが、老齢年金とかはどうしているのか。
老齢年金がいくらかあれば、もうすこしましな安いアパートでも借りて3人でもっとこぎれいに暮らせなかったのか。
ジヨンは複数の友人に金を借りていたが、彼女はそれを生活費にあてていたのだろうか? 近くのカキ工場で働くことはできなかったのか? 仁川(インチョン)では2000年初めはそんなに若年者は生きていくのに苦労したのだろうか? 次々と疑問がわいた。
仁川(インチョン)といえば、冬ソナなどのロケ地としてその美しい風景ばかりが記憶に残っているが、この「子猫をお願い」では低階層の労働者の町として映る。同じ町でもこんなに違った印象になるんですね。
電車の音、バスの音、スラム街の暗い小路を歩いていく足音、夜遅くまで工場で働くアジュンマたちの掛け声や姿。映画は、人々が世界の一隅で生きていくために淡々と働く姿をさまざまな音を拾いながら進んでいく。
ひとつひとつが心にしみる生活音だ。
物語が進むにつれて、ジヨンにはもっと大きな試練が待ち構えるのだが、すべてに絶望したジヨンには「生きよう」「なんとかしよう」ともがく気力もなく、すっかり心を閉ざしてしまう。
そんなジヨンだが、いつも優しい言葉をかけてくれたり、助けてくれるテヒにだけは心を許していた。テヒもジヨンの苦境を知っているだけに見捨てることなどできない。
テヒは最後の最後までジヨンを助けようと心を砕きながらこの映画は終わっていくが、テヒとジヨンに明るい未来がまっているというハッピーエンド感はまったくなく、むしろ二人はこの後どうなっていくのだろう、という不安な余韻を残していく。すくなくてもアラフィフにはそう感じた。
そういった意味では、この映画はとてもリアルであり冷たい映画かもしれないが、不思議とその観客に妥協しないリアル感がかえって、深い感動に似た共感を呼んでいく。
人生は残酷で無慈悲である。
それなら二人で力を合わせて生きていくという選択肢は大いにありである。孤独なジヨンを助けようとするテヒの決意には感動する。若者よ、大いに苦労せよ、道を切り開け、がんばれと言いたい。
ジヨンには少なくてもテヒという友達がいるのであり、一人ではない。

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子猫はわたしたちひとりひとり
ジヨンが見つけた迷い猫はいろんな人の手を渡っていくが、子猫はジヨンの姿そのものであるように思えた。
子猫はかわいく泣いたり、愛嬌をふりまいたりして人に気に入られ、ぬくぬくとした寝場所やエサをもらうことが叶うが、ジヨンは果たしてどうだろうか。
ジヨンもこれからの長い人生を、時には泣いて助けを求めたり、寒いと叫んだり、愛嬌をふったりして生きていかなければならない。親友にだけ心を開いて生きていけるほど人生は甘くなく、さまざまな人に自分から能動的に働きかけてでしか生きていくことができないのだから。
生きていくのがつらいからとか、消えたいとか嘆くよりも、どのみち死ぬ日は来るのだから、その日までは、明日のことは考えずに、とりあえず「今」をささやかに生きのびることだけに集中する。それだけを考えて積み重ねていけば人生はなんとかなるのかもしれない。
この子猫のように。
ジヨン、がんばれ。
テヒ、ありがとう。
