血まみれ謎まみれ。この映画を見ながらモノを食べるな!吐く!

作品情報
●評価 4.5★★★★☆
●制作 1999年
●上映時間 116分
●原題 텔미썸딩
●監督 チャン・ユニョン
●脚本 ク・ボナン、チャン・ユニョン、コン・スチャン、キム・ウンジョン、イン・ウナ、シム・ヘウォン
●出演
ハン・ソッキュ、シム・ウナ、ヨム・ジョンア、チャン・ハンソン、ユ・ジュンサン、アン・ソクァン他
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あらすじ
ある夜、路上で少年か倒れていると警察に通報が入る。チョ刑事(ハン・ソッキュ)らが駆けつけるが少年はすでに亡くなっていた。どうやら近くのビルから転落したようだ。
その後、猟奇的な事件が立て続けに起こる。まず河川敷で四肢切断の遺体が発見され、次にエレベーターと運動場で発見される。3人の遺体はみなバラバラにされて黒いビニール袋に入れられ、指紋は削り取られていた。解剖学を学んだ人間にしか出来ないような精巧な切り口、体の一部が互いに混ぜられていることから同一犯の仕業と見られた。
マスコミは騒ぎ出し、近隣住民は不安に落とされる。犯人を刺激せずに捜査するため、外部に捜査本部が設定され、チョ刑事らが担当に任命される。
運動場で発見された遺体の身元が判明する。哲学科の教授ジュンヒョン、34才だ。チョ刑事らは彼と付き合っていた博物館に勤める女性チェ・スヨン(シム・ウナ)に話を訊きにいく。すると衝撃的な事実が分かる。なんと3人の遺体はすべてスヨンの過去と現在つき合っていた男性だった。スヨンは重要参考人となり、警察は彼女を日夜監視するが、張り込みが目を離した隙にスヨンが自宅で何者かに襲われる。
焦る警察。犯人はスヨンをよく知る人間であり、スヨンを殺そうとしている。スヨンはすぐに病院に運ばれたので命に別状はなかった。病院では、スヨンの親友スンミン(オム・ジョンア)が研修生として勤めていた。スヨンの手当てするスンミン。チョ刑事は警備を理由に、スヨンを自宅のマンションに匿(かくま)うことにする。
スヨンと同じ屋根の下で暮らす内に、次第に彼女に惹かれていくチョ刑事。犯人はそんな彼に警告するかのように、チョ刑事の命まで狙いはじめる。犯人との距離が少しずつ縮まっていくのを感じるチョ刑事。はたして彼は犯人を逮捕し、スヨンの命を守りぬくことができるのか。
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※ここから先はネタバレが含まれます。未だ御覧になってない方は読まないことをお勧めします。
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チャン・ユニョン監督。練りぬいた脚本。最高の謎解き映画。いまだに色あせない名作!

2019.10.11記
たかが映画だから楽しくお菓子でも頬張(ほおば)りながら見ようと思ったら、オープニングから気を付けられたし。ざくざく人肉を切るシーンが出てくるので、
吐きます!!!
血まみれの四肢切断の死体、頭部、心臓とオンパレードに肉塊が出て来るので、胸が気持ちわるくなる。どろどろの鮮血がまぶたの裏に焼き付くほどだ。
しかし、そんな「カル」はそこらのチープなサスペンスホラーではなく、サイキックな人間心理を見つめるには最高の神映画になってしまった。サイコを研究する心理学本になってしまった。
製作1999年、日本公開は2000年。ずいぶん昔に見たが、現在2019年に再び鑑賞しても、そのすばらしさは色褪せない。
練りに練った脚本。散りばめられた作品を光らせる謎。見れば見るほど想像をかきたてられる映画はそうそうない。こんなすばらしい謎に満ちたサイコ映画が1999年に作られていたことが誇りで仕方ない。韓国だけでなく全人類の宝だ。
また、「カル」という邦題が最高にいい!
原題の"텔미썸딩 (Tell Me Somthing)" だと軽すぎてこの映画の本質を表してないように思う。「カル (칼)」※ という日本人にとっては意味不明な響きが、この映画の不気味さを表していて、観客のイマジメーションは思い切りかきたてられる。まちがいなく邦題の圧倒的な勝利だ。忘れられない一本となったことは間違いない。
[※カル (칼)とは韓国語で「ナイフ」という意味]
名優ハン・ソッキュの圧倒的存在感。考え抜いた演技なのか、自然なのか。よろめいて倒れる様に悶絶する。

1990年代、「八月のクリスマス」「シュリ」と、ハン・ソッキュが主演すると何でもヒットになったぐらい彼は映画界の救世主であり、ヒットメーカーだった。現在では年間に1本の映画に出るか否かのペースになったが、チャン・ドンゴン、イ・ビョンホン等とともに日本の韓流ブームをずっと支えてきた立役者である。彼が出演していると聞いただけで心が一瞬にして昔に回顧飛びする。
本作品はシム・ウナさんと共演し、見事に犯人に出し抜かれるチョ刑事を演じているが、彼がサスペンス映画で一番キラキラ輝くのは、この出し抜かれた瞬間の演技であるように思う。普段男っぽいハン・ソッキュがよろよろと腰砕けになり、恥も外聞もなく地べたにひれ伏す姿が「意外」すぎて叫びたくなるほど絵になるのだ。
この映画では、二つのシーンに見られる。
①雨の中、犯人に車で襲われるシーン
②最後の最後のシーン
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ポイントは、マッチョ感を消すという点である。
荒くれ刑事男が大股を開けて天を仰ぐのではなく、あくまでも謙虚に両脚を閉じて女性のようになよなよと崩れる様を見せるのである。
とくに女性はこういう姿を見せられると、胸がキュンとなり非力な主人公を支えてあげたくなる。彼をいじめないでと。
ハードボイルド主人公をこなす韓国男優の中で、ハン・ソッキュだけがこういう胸キュンポーズをよくとるように思うのだが、はてわたしの勘違いか?
彼の瀬戸際でのこの名演技は計算しつくして考え出されたものなのか、はたまた自然に出されるものなのか。妙に絵になっていることからも、天才はどうあると自分が一番美しく見えるのかを本能として知っているということだけは確かなようだ。
シム・ウナのかもしだす静謐(せいひつ)だが超サイコな雰囲気が、怖すぎる!!!
シム・ウナさん、安っぽくない!
すばらしい演技だった。
「八月のクリスマス」のコンビ復活というだけでなく、「カル」は強烈な個性を放つことで際立った作品だ。とくに、ハン・ソッキュの演技を凌駕するほどの狂気的な怖さがシム・ウナさん演じるスヨンにはあった。
陶器のような美しさなのに、触れるだけで切られるナイフのような女。
この女なにかある!と思ってはいても、綺麗な女性が目に涙をためて被害者を演じられると男だけでなく女も弱い。20年ぶりに本作品を観た私だが、あらためてスヨンにこっきりだまされた。スヨンが怖い!
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1・結局、スヨンは一体何人殺したのだろう?
十人十色の種明かしがあるが、わたしはスヨンは3人のバラバラ死体と父親チェ・ヨンフンの死すべてに関わっていると思っている。研修医のスンヨンがこの内何人かを手助けしていることは間違いないが。

ここに出てくるオフェーリアの絵はまことに意味深だ。
観客を大いにまどわす。
オフェーリアの絵は父親を恋人ハムレットに殺されたショックから狂って水死していく女性を暗示しているが、私はこれはスヨンの父親殺しを否定するものではないと思う。むしろその逆だと思っている。
なぜなら、スヨンは自宅に父親の首なし死体を水槽の中に隠していたのであり、これを考えると、スヨンが水槽の電気をつけ、毎晩ワインをちびちび飲みながら首なし死体を観賞していたことが容易に推測できるからだ。つまり、彼女がほんとうに父親が死んでオフェーリアのように悲しんでいたのなら、自宅の水槽に死体を保管したりなどしない。
スヨンは父親を激しく憎んでいた。だから首を切った。顔など見たくなかったのだ。首のない死体を残し、憎しみと勝ち誇った気持ちで観賞する一方、漠然とした父親像の喪失感は否定できないでいた。あこがれの父親像である。自分を愛し、いつも助けてくれる父親。そんな父親が与えられなかったスヨンは、その喪失感を表すためにオフェーリアに自分を見立てた絵を描いたのではないか。
あくまでも推測に過ぎないが、わたしはこのように考えた。
悪魔のような父親に蹂躙されてきたスヨン。
それはスヨンをとんでもなく美しいサイコに変えた。
幼い頃からずっと父親に性的に暴行され、自分を大切に思えなくなった少女が成長して大人になるが、恋愛をしてもうまく行かず、次々と相手を殺していくという猟奇性。スヨンが選んだのは、うまく愛を育てられない自分を否定することでなく、すべてを相手の男性のせいにしてこれを殺すことで自分を肯定することだった。
それがこの一連の殺しの原因だったように私は推測している。
悲しい女よね。
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2.サイコ女スヨンは警察へ挑戦状をつきつけていた!
これはあまりみなさん指摘されてなかったように感じるが、運動場で発見された哲学科の教授ジュンヒョンの身元引受人がスヨンだったことについて、どう思われただろう?
わたしはあれについて大いに疑問を感じた。
身元引受人は、家族でもない限り、引き受ける側が了承しない限りは引受人になれないのが原則だ。にも関わらず、スヨンは自分が引受人になっていることに驚いていない。それどころか「ハイ、まってました!」とばかり堂々としている。
わたしはここに、
スヨンの究極なサイコぶりを見た気がして、ぞくぞくした。
彼女は最初から最後まで一切うろたえた瞬間がないのだ。
すべて練りつくされた計画殺人であり、想定した取り調べを受けたのであり、それをぜんぶ心から楽しんだのである。
これは間違いなくスヨンの警察への挑戦状である。
サイコは周りの人間を振り回すのが好きで、周りの人間が自分のことを心配してくれるのはもっと好きである。彼女は常に人々の関心の中心に常にいたい子ちゃんなのである。だって愛に飢えて育ったから。
そんなスヨンにみんなだまされていくのであるが、言っておくが、それはスヨンが超美人であるからだ。
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バカな男よのう・・・
尋問しているチョ刑事(ハン・ソッキュ)らもみーんな、
「こんな美人が殺人なんてできるわけが・・・」という目で見ている。
これがブスなら、絶対にその場で逮捕だ。
有無を言わさずに。
そう。それが世の中だ。まったくブスはみじめだ。
スンミンのスヨンへの献身的な愛情

スンミン(オム・ジョンア)はスヨンの幼馴染だ。
スヨンの隣りに住んでいて、幼い時から彼女が父親から性的に虐待されていることを知っていた。スヨンへの心配は、やがて恋愛感情へと変化していった。
大学生になってスヨンが何度か自殺未遂をはかった時、病院で二人は再会する。スンミンはずっとスヨンのことが忘れられなかったのだろう。二人は恋愛関係になるが、スヨンは与えられなかった父親の愛情を求めて男性にも恋愛を重ね、愛情を得られないと分かったら殺していった。
スヨンを愛し、哀れに思っていたスンミンはそれを手伝った。
謎! スンミンは最後なにをしようとしたのか? スヨンを本当に殺そうとしたのか?

さて、終盤、スンミンがスヨンを殺そうとするが、これは一体なにを意味しているのか、正直言ってまだ考えあぐねる部分が多い。
タワーレコードでスヨンと待ち合わせたスンミンが彼女の首にナイフを突きつける。スンミンはスヨンを本当に殺そうとしたのか、それとも殺すふりをして身代わり逮捕されようとしたのか?
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結局、スンミンはスヨンに銃殺されてしまうが、息をひきとる際のスンミンの表情が意味深である。つまり、ものすごく驚いたような表情をして死んでいくのだが、何に対して驚いたのかが今いち分からないのだ。
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そこで、スンミンがスヨンの首にナイフを突きつけながら、一体何を考えていたのか推測してみようコーナーを作った。以下の3つの選択肢から選んでほしい。
①スヨン、あなたはあたしと死ななきゃいけない。あなたみたいなモンスターは生きてちゃいけないのよ。(心中①)
② 遅かれ早かれ私たちは逮捕される。逮捕されたら死刑。愛するスヨン、わたしがあなたを殺してあげる。(心中②)
③スヨン、あなたを殺すフリをしてわたしが逮捕されるわ。あなたは自由に生きて。スヨン愛してる。(身代り逮捕)
わたしは、スンミンが望んだのは、③の身代り逮捕だったのではないかと思っている。
理由は以下だ。
彼女はスヨンの首にナイフを突きつけていたにもかかわらず、さっさと殺そうとしなかった。わざわざタワーレコードという公衆の前で犯行を見せつけていること、自宅の洗面台に血をまいて、自分が犯人であるかのように工作していることだ。
これらのことから、スンヨンは一切の罪をかぶろうとしたことがうかがえる。
スンミンは最後までスヨンを深く愛していたからだ。
愛していたが故に罪をかぶろうとしたのに、こともあろうが愛するスヨンに逆に銃殺されてしまう。薄れていく意識の中でスヨンが自分にすべての罪を着せようとしていることに今際の際(いまわのきわ)で気がづく。時すでに遅し。爆サイコなスヨンにはスンミンへの真心どころか関心すらなかった。スンミンはただ利用されただけだった。
あばよスンミン。
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とにかく、この映画、どこまでも冷徹なスヨンに震えを覚える。
シム・ウナみたく綺麗だからこそスヨンの冷たい心は演じられた。
ブスには演じられない。喜劇になる。邪魔だ!ペ!
表情のない死体のようなスーパーサイコ。
それがスヨンの魅力だ。
この女を逮捕しろ!
キリングマシーンは、ぜったいにフランスでも人を殺す!
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映画に出てくるいくつかの疑問。これは謎の範疇ではない。
①1999年の韓国は重要参考人とはいえ、逮捕令状も捜索令状もなく盗聴ができたのか? スヨンは重要参考人だったが、令状もなく思い切り警察から電話を盗聴されていた。
②チョ刑事がスヨンを自宅に匿(かくま)った点。
重要参考人をだれにも相談なく、刑事たる自分の家に匿ってもいいのか? しかも相手は女性なのに。ぜったいにチョ刑事はスヨンが美人だから、不憫に思い家に招いたのだろう。ブスは勝手に推測してひがんだ。
③スヨンへの銃貸与の場面。
またチョ刑事であるが、一般人に、しかも犯人かもしれない人間に自分の銃を護身用に貸与することがあるのだろうか? そんなこと許されるのか? 韓国人はこの場面を見てどう思ったのか? 普通なら懲戒免職ものではないのか? その銃をつかってスヨンはスンミンを銃殺したのだから驚愕だ。
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以上、機会があれば、チャン・ユニョン監督にこの3点を是非おうかがいしたいと思う(あるわけないだろ!)。
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最後に。カルファンは永遠だ!
チャン・ユニョン監督がインタビュー(DVD特典) の中でも言っていたとおり、この映画は謎解き映画であり、その謎を解いていくのことが最大の楽しみだ。
今ではたくさんのレビュワーたちがこの映画について種明かしをしており、わたしがとりたてて同じ種明かしを書く必要もない。その意味で、ここで書いてきたことは自分の完全な憶測であり、映画を楽しみながら書いたメモである。
是非みなさんも名作「カル」を再度ご覧いただいて、わたしのレビューに異議を唱えてもらいたい。カルファンはいつまでも謎解きから離れられない。それが宿命だ。
ちなみに、わたしが感動した種明かしはこちらの方のレビュー。
なかなか的を得ていました。
最後に、途中、美人にたいしてまた恨み節が炸裂したが、
シム・ウナさんに個人的恨みはございません。
韓国美人、大好きでーす!
