家族

小生意気なガキに最後までイライラ!「おばあちゃんの家」(2002) イ・ジョンヒャン監督

2021-07-17

子役もおばあちゃんも悪くない。悪いのは監督だ!

作品情報

  • 評価: 2.5★★☆
  • 制作: 2002年
  • 公開: 韓国:2002年4月5日
  • 累計観客動員数: 1,576,943人
  • 上映時間: 87分
  • 原題:  집으로…(家へ・・・)
  • 英語題: The Way Home
  • 監督: イ・ジョンヒャン
  • 脚本: イ・ジョンヒャン
  • 出演:
    ユ・スンホ (7) ---ハン・サンウ(主人公、少年)
    キム・ウルボン (77) ---おばあちゃん
    トン・ヒョヒ---サンウの母
    ミン・ギョンフン---チョリ(男友達)
    イム・ウンギョン---ヘヨン(サンウの初恋)

  • 受賞 2002年大鐘賞映画祭で最優秀作品賞,脚本賞、企画賞
       その他各国で多数受賞

あらすじ(ネタバレなし)

サンウは7才。わがままいっぱいに育った。両親は離婚し、母親は女手ひとつでサンウを育てている。
昨今の不景気から母親の経営する店が倒産し、サンウは母親に連れられて母方の祖母の家にやってきた。母親は求職活動をして新しい職場で落ちつくまでのひと夏の間、サンウのことをおばあちゃん(77)に預けることにしたのだ。生活が落ちついたらサンウを引き取りにくると約束する。サンウはイヤだったがしぶしぶ従った。

想像したこともないジャングルのような中に今にも倒れそうな掘立小屋がおばあちゃんの家だ。
水洗便所もない。電気もない。水は雨や川から汲んでくる原始的な生活。おばあちゃんと暮らす二人だけの田舎生活がはじまった。

おばあちゃんは耳はすこしは聴こえるが口がきけない。都会っ子でわがままいっぱいに育ったサンウは、障害者のおばあちゃんのすべてにイライラする。ことあるごとにおばあちゃんと不便な暮らしに不満をぶつけながら、はやくひと夏が過ぎればいいと思っている。

山の上の田舎暮らしは、自然がむき出した世界だ。急に大雨に打たれたと思ったら晴れ上がり、山道では暴れ牛に追いかけられて転んでケガもする。経験したことのない波乱万丈な毎日の中で、サンウ少年はいまだ出会ったことのないかけがえのない自分の感情と出会うことになる。それはいつも自分を許し守ってくれるあたたかい存在への感謝の気持ちだ。



※この先は、ネタバレが含まれます。未だ御覧になってない方は読まないことをお勧めします。


わたしがおばあちゃんなら、迷わず初日にサンウを崖から突き落とす

この映画、世間のレビューは相当良くて、わたしも期待して見た作品だったが、もう最初から最後までイライラしっぱなしで終わった残念作品でした。なぜ評価がいいのかわからない。
素直に「この映画好き!」と思えないのだ。今後また見たいともとくに思わない。

なにが一番頭にきたのか? それはもちろん主人公のサンウが小生意気すぎるのだたかだか7才にして77才の実のおばあちゃんをなぜにあそこまでひどい扱いをする? 監督やりすぎ。

いくら両親が離婚し、一人っ子でさみしい環境で育ったとはいえ、このガキはとんでもなく思いやりのない小僧だぞ。大人をなめるんじゃない。


以下、サンウ君のスーパー憎たらしい行動について一つずつ見ていきたい。

おばあちゃんのオンボロ家がちょっとこわかった

まったく可愛げの欠片もないサンウ。生来なのか親のしつけが失敗したのか?

①おばあちゃんの靴に小便をかける

初めておばあちゃんの家に来た日、お母さんとおばあちゃんが話をしている間、さみしかったのかわからないが、おばあちゃんの(なけなしの)靴にこともあろうか小便をひっかける。
→最初から、たった一人の祖母にこんなひどいことする孫っているのか?

一生懸命働いてきた労働者の靴。おばあちゃんの靴だ。



②障害者にたいする特有の汚言を吐く


バス停でお母さんを見送った後、さぁ帰ろうと手を差し出したおばあちゃんの手を振り払う。「バカ」「耳の聞こえないバカ」「まぬけバアさん」と汚い言葉を吐く。
→こんな悲しく汚い言葉を、障害者(しかも自分の祖母)に吐く人間って、たとえ子供といえども相当悪魔だと思う。髪の毛かきわけて頭皮に666と書かれていないか調べるべき。

初日から、話せないおばあちゃんをバカにするサンウ


③突き飛ばし


ゲーム機の電池が切れたので、金をくれと悪態をつきおばあちゃんを突き飛ばす。悲しそうな顔をするだけのおばあちゃんだが、サンウは腹立たしさが収まらず彼女の靴を竈(かまど)に投げ入れる。
→どこをどう育てたらおまえみたいな邪悪な心になるんだ?怖すぎる。


⓸盗んでまでして自分の欲求を満たそうとする

ゲーム機の電池を買う金ほしさにおばあちゃんの髪からかんざしを盗みとり、街へ行ってそれを電池にかえようとする。
→おばあちゃんが身に着けているものはわずかだ。そんなものまで剥ぎとって電池を買って何が楽しいのだ? 7才にしてすでに盗賊の癖があるのか?


⑤せっかく作ってくれたチキンがお気に召さなく、文句を言う

おばあちゃんが市場にわざわざ行って鶏を買ってきてくれた(ケンタッキーなんか町にない!)。その鶏を絞めて作ってくれた田舎風サムゲタン(敢えてこう呼ぼう)に毒を吐くサンウ。わしが食いたいのは揚げたチキンじゃ!と。
→ぜんぜん見ていてかわいいとか、子供だから許そうとかの感情がわいてこなかった。サンウは丸卓にある白飯まで投げてスネたのだ。ありえない・・・

田舎風サムゲタンはね、ケンタにはないおいしさがあるんだよ。


⑥靴を買ってもらったのに感謝の一つもない

めったに行かない市場に出かけ、孫が喜ぶならと靴一足 (2300ウォン)を買ってあげた。おばあちゃんにとっては大金だ。それなのにサンウは感謝のひとつもない。
→おばあちゃんがなぜ帰りのバスに乗らなかったのかわかるか?
あんたの靴を買って帰りのバス代がなかったからだよ。あんただけをバスに乗せたばあちゃんは、遠路歩いて翌日帰ってきたのだ。感謝しろばかたれ。


2000ウォンはおばあちゃんにとって大金だ
この重さをサンウはわかっているのか?

⑦お金をもらって気がつく

おばあちゃんがゲーム機に電池を入れてそっと渡してくれていた。その中に2000ウォンのお小遣いもいっしょに。それを見てサンウは泣き出す。
→このシーンは、サンウが初めておばあちゃんへの感謝を爆発させたシーンだしかもお金を見て・・・なさけなかった。このガキはお札を見るまでどうして感謝ができないのだ。


小さくまとめ


とまぁ小生意気なサンウについては、最初から最後までイライラしっぱなしだった。またしつこく付け加えるが、サンウは家の手伝いひとつしなかったぞ。夜中には、外の便所が怖いといってばあちゃんを起こし、糞している間、おばあちゃんを見張りにしている。こうしてサンウの小生意気ぶりは映画の後半までえんえんとずーっとつづくのだ。自分の中のわけのわからない怒りをえんえんとなんの罪もないばあちゃんにぶつけ続けるのだ。わたしがイライラしたというのも当然ではないか。

ちょっとバランスが悪すぎるこの作品。


しかし、結局はサンウが悪いのではなく、言うまでもなく正すべきは脚本であり、演出だろう。そう、監督イ・ジョンヒャンさんが悪い


わたしはこの映画の予告を見た時、なんとなく思い出したのが F・H・バーネットの『秘密の花園』だった。
主人公メアリは、召使が何人もいる裕福な家庭で育つが、病弱でおまけにひねくれていて、どことなく両親の愛情に飢えたさみしい子だった。インドからイギリスのド田舎ヨークシャーに引っ越してきた後、メアリは少年コリンと出会い、心も体もすこしずつ成長していくという心あたたまる物語だ。「おばあちゃんの家」もこの味わいを狙ったのだと思う。

この『秘密の花園』と比較して思うのは、メアリはひねくれてはいたが(おまけにブス!)、家族や友達に汚い言葉を浴びせかけたり、モノを盗んだりはしない。彼女がキライだったのは自分だったので、そもそもそんな自分など家族も他人も関心などもたないだろうと諦めているのだ。

彼女の敵は彼女であり、だれかに怒りをぶつけまくるサンウのような元気も性悪さもない。だから見ている者は、少しずつメアリに同情し、彼女に寄り添った視線になる。

いつも不満気なサンウ。イライラして自分の怒りをおばあちゃんにぶつける

ところが、このサンウはどうだろう。

まず、人見知りする性格と母親は弁解していたが、初めて会った自分の祖母にたいして放つ汚くて悲しい言葉の数々。障害者であることを知っていてなお浴びせかける罵声・・・。あれを聞いてサンウに同情する人は少ないだろう。

監督は、そんな都会育ちでささくれた心をもつサンウが大自然と優しいおばあちゃんの愛に包まれて変わっていく姿を表現したかったのであろうが、罵声に加え、壺を壊したり、モノを盗んだり、金をくれとばーちゃんを突き飛ばすサンウは 「獣のように粗野で品のないクソ野郎不良少年」すぎて、観客の同情を呼ぶことに失敗している。


田舎ではなく、これはもう一刻もはやく更生施設へぶち込むべきだろう。

ばあちゃんの家ではなく、「サンウ更生施設へ行く」とのタイトルにすべきだった。


 

とはいえ、このダメダメ映画にも良さはある!

不完全な人間と神様という構図

おばあちゃんの静かな愛
77年という歳月がおばあちゃんの神心を作り上げた


サンウの悪童ぶりとおばあちゃんの深い愛。対照的な二人の姿を通して描かれるもの。それは不完全な人間と深い慈愛にみちた神様という構図だろう。

人間はどれだけ成長しても欲まみれである。子供であればなおさらであろう。そんな人間が神様の深い愛によって許されて生きていることをこの映画をみるとしみじみと感じさせられる。

つまり、この作品におけるおばあちゃんの人物設定はとても上手い。

おばあちゃんは、耳は少し聴こえるが、口は完全にきけない。よって、サンウが悪態をついても、おばあちゃんはサンウに大きな声で言い返すことも諭すこともできず、ただじっと相手の目を見てかなしく目を伏せるしかないのである。
おばあちゃんは相手が不機嫌になった時、ただ自分の胸をなでて「ごめんね」と謝る。謝る必要などないのに、おばあちゃんは謝る。

普通の人間なら、このおばあちゃんの美しい姿を見て、心が洗われる感覚を覚えるであろう。武器をもたない人間がもっとも強く美しいと思える瞬間である。



もしもおばあちゃんが口がきけたらどうだろう。


もしも油っぽい関西のおばちゃんのようなキョーレツな弾丸トークを返す人だったらどうだろう。サンウに負けず劣らず口角泡を飛ばしてまくしたてられたら、映画をみている我々はおばあちゃんにこれほど感動しなかったかもしれない。もしくは、B級パロディ作品に色を変え、小生意気な小僧と負けないおばあちゃんというケンカ物語で終わっただろう(受賞はもちろんないだろうが)。

それはそれでいい。言葉と言葉がぶつかり合って構築される人間関係は実際にあり、人間的成長はそこにもあるだろう。感動を呼ぶかもしれない。


しかし、おばあちゃんが口がきけない弱き者としての設定は、この映画を一層輝かせたと思う。

この映画を見ていると、わたしのように、ついついサンウの不出来に激怒し、イライラと腹を立てては「おまえはなんて可愛くないのだ。わかっていない!」と言いたくなる人間は、ずいぶん以前、自分もサンウであったことを忘れてしまっているのだ。

わたしが成長する過程で、わたしの周りには常におばあちゃんのように非力で何ももたない、しかし人として美しさを備える人物がいて私を導いてくれた。だから私は彼らたちから感動を覚え、ひとつずつ成長できて今に至るのだ。

おばあちゃんは高齢で老い先がない。サンウはきっと自分がわがままを言い、あの時ひどいことを言った自分を時折思い出し、自分を責めるだろう。


我々一人ひとりの中に神心があり、それが成長することで、功徳の道を積むことができる。おばあちゃんが無抵抗で、非力であればあったからこそそれはなお一層輝いた。


サンウ、イライラしてごめんよ。

でも・・・ごめん。あたしはおばあちゃんじゃないの。
ぜったいに崖から突き落とすわ。



あれから成長したサンウ少年(ユ・スンホ)

撮影時、9歳だったサンウ少年はぐんと成長して、2021年現在は28才に成長している。
なんとまぁ大きくなったこと。好青年ですね。今、彼はBTSのメンバーなんだよと言われても、Kポップに疎いわたしはすぐに信じてしまうだろう。

2014.12.4 晴れて除隊したユ・スンホ氏(朝鮮日報より)

2013年3月5日、ユ・スンホはマスコミにも知らせずひっそりと軍隊へ入隊している。彼のこの行為は世間を大いに驚かせたという。人気芸能人が軍隊に兵役に入る時はマスコミも一般人も取り囲んでひどい騒ぎになるが、彼はひっそりと入隊することで軍でいじめられないようにしたのかもしれない。

2014年12月4日、除隊。この時はマスコミもファンも国内はもちろん中国、日本からも詰め掛けてお祝いしたという。「兵長ユ・スンホです」と敬礼した彼は涙をはらはらと流し、「軍隊での経験は今後の仕事に大いに役立つでしょう」と述べた。時が来たら静かに兵役に入り、感動をもって除隊する。わたしはユ・スンホのような愛国若者が大好きである。

日本も兵役義務を課すべきであろう(もちろん女性も何らかの兵役義務を課すべきだ)。韓国の若者はこうして緊張感をもって国を守るという感覚を身に着けている。これはすばらしいことなのだ。


 

 

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毒女 悦子

世界の中で日本を一番愛しているし、日本に感謝している。

でも、いろいろな映画がある中で、今何が見たいと言われたら迷わず韓国映画をみたいと思う。韓国映画に出てくるシーン一つ一つになつかしい思いがしてしまうから。そして、ハングルの発音が好きだから。


わたしは、韓国映画の中にある日本の古き良き時代探しているような気がする。

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